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宵山万華鏡

宵山万華鏡宵山万華鏡
(2009/07/03)
森見 登美彦

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夏は何となく苦手だ。
暑いからというだけではなく、まるでアイスクリームのように、なにもかもがゆるゆるどろどろと溶けて混じりあってしまうような、あの弛緩した感じが嫌なのだ。

まして舞台は京都なのである。
そりゃあ祭りともなれば、この世とこの世ならざる世界との境目も曖昧になって混じりあってもしょうがないさ。何が起こっても不思議じゃない。
ついでに私は「非日常なら多少のことも許される」みたいな"無礼講"という便利な言葉も苦手だけれど、それもやっぱりモリミーだからしょうがないと思えてしまう。
ノビ太少年に付き添うドラえもんの心境てこんなんだろうか。
「もう、しょうがないなぁモリミーくんは」

ところで私は昔から割と慎重派である。つまり気が小さい。
冒険心などまるでない(海賊王に、オレはなれない(・_・))。
小さい頃から規則正しく慎ましやかに日常を何となくこなすタイプだったので、大失敗も少ない代わりにあまり面白いことにも遭遇してこなかった。
逆に私の姉は活発で男の子のように冒険心に富んでいて、色々悪事を重ねては後で親からこっぴどく叱られるタイプであった。その分面白い子ども時代を過ごしたことだろう。
つまり私と姉はそのままリアル「宵山姉妹」なのだった。
そして憐れな妹は、まんまと事件に巻き込まれてしまうのが常。
あーあ、とは思うのだけど、一緒にいるとほんのちょっと"面白いこと"のお相伴にはあずかれるわけだ。
そいでもって、常に刺激を求めて止まない姉は、非日常にたっぷりと浸って存分にスリルと冒険を堪能するのよね。自分で代償を支払う覚悟があるなら、それもまた良し。
得るものが多いということは、それだけ失うものもまた多いということなのだから。
世界はそうやって均衡を保っている。

それはともかく。
この世と呼ばれる日常の世界の、ほんの隣りには、きっと"この世ならざる"非日常の世界がひろがっている。
そしてそのあいだには結構深い川が横たわっていて、近くにあるのに普通は辿り着けない。

と、私は思っている。
"平穏な日常"が何より大切な私には、たぶん死ぬまで縁のない世界。
いいんだ私はこうやって本の中でたっぷりと非日常の世界に浸かっているのだから。


だけども

なんかのはずみで

ほんのデキゴコロで

はたまた弛緩した夏の悪戯で

ふとその境界を超えてしまったとしたら

ただのヒトである私だって、常ならざる存在に出会えることもあるかもしれない。


果たしてそれを僥倖と呼ぶのか、はたまた災厄と感じるのかは、その時になるまできっとだれにもわからない。


そういえば、私には、ずっと探しているモノがある。
おそらく私が暮らす世界では決してもう出会えないもの。
そこへ行けば、私もそれを見つけることができるだろうか。


"ほんのデキゴコロ"が芽生えた時には
懐かしい万華鏡を覗いてみることにしよう。

戻ってこれなかったらごめんなさい。

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太陽の塔

太陽の塔 (新潮文庫)太陽の塔 (新潮文庫)
(2006/05)
森見 登美彦

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相当ネタバレあります。未読の方は要注意!


濃い赤錆色一色の世界から淡い薄暮の空へと。
まるでグラデーションがかかったような、見事な心象風景の移り変わり。

前半には、これでもかとねっとりむさ苦しい男子学生の生活が描かれる。
ところが「Gキューブプレゼント大作戦」などにうかうかとノセられて爆笑していると、いつのまにか「叡電」に揺られ、非日常の心象世界へと運ばれるのだ。
それがまったく不思議ではないものとして描かれる。びっくりするほどのファンタジー。

思えば、太陽の塔ほど不思議な建物はない。
その昔、太陽の塔は日常として私の生活圏に鎮座していた。
通勤電車の車窓から毎日見ていたのだ(!)
日常に存在していながら、その非日常的存在感は圧巻だ。
過去・現在・未来の顔が塔にくっついているという、その存在自体が既にファンタジー。
実は、太古の顔までが本当はあったらしい。それが何故か現在は失われているというミステリーさえもある。
当に宇宙遺産。


読み終えたあと、何故か心がきゅっと苦しく切なくなった。

なんて純情な"ストーカー"。
彼女に別れを告げられたときも冷静に握手をして別れ、自分の心に蓋をして「彼女は断じて恋の対象ではなく一つの謎だ」などと虚勢を張り、愛車「まなみ号」(もちろん自転車)を駆って、かつての恋人であった「水尾さん研究」を淡々と続ける。
そして同じ"水尾ストーカー"の遠藤の背中をついつい押してしまう。

クリスマスイブに決行された「ええじゃないか騒動」の最中、酔ったように「ええじゃないか」を叫ぶ群衆のなかに水尾さんを見かけた主人公が

「どうでもええわけがない。どうでもええわけがあるものか」

と、彼女への想い、未練を初めて認める怒涛のクライマックスは圧巻。
彼は思い出す。水尾さんと別れた後、本当は降りしきる雪の中でこらえ切れず涙をこぼしたこと、彼女の仕草、嗜好、彼女と過ごした日々。
そこに至る表現力のなんと見事なこと。言葉のラッシュに大いに酔わされた。


叡山電車から降り立った彼が見た風景。
太陽の塔を胸を反らせて精一杯見上げる彼女の横顔が印象深い。


だれもが皆なにかしら間違っている。
間違っているから、美しい。

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恋文の技術

恋文の技術 (ポプラ文庫)恋文の技術 (ポプラ文庫)
(2011/04/06)
森見 登美彦

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相変わらず森見さんはすごい人だ。
(「凄い」というと何だか怖い感じなので、ここではあくまでも「すごい」。)
書簡形式の小説なんてイマドキ別に珍しくもないけれど、一方からの目線の、しかも手紙のみでこれほど季節感を表現し、それぞれの登場人物の性格を表現し、物語の経緯を語り切っているものにはなかなかお目にかかれない。

ラブリーラブリーこりゃラブリー♪

で、もう終わりにしてもいいぐらい、この一言がすべてを物語っている。
(実は、この言葉だけは絶対書こうと思ってまず書いておいたら、なんだかもうこれだけでいいような気がして、ほんとにこの一言で終わりたいという発作に襲われたことはヒミツ)

登場人物はこのお話でも皆愛らしい。
「ぷくぷく粽」「天狗ハム」「マシマロ」など、そこかしこに散りばめられた森見さんならではの「小道具」も黒光りしている。
(うっかり検索してみたら「天狗ハム」は実在するが「ぷくぷく粽」は見あたらなかった。そりゃそうか。)

そして、それぞれの手紙の最後の宛名と署名がまた笑える。
中でも、非常に小ネタになるけれども「一級ナメクジ退治士」に私はヤラレた。
電車の中で思わず噴き出してしまった。ナメクジ退治士て!しかも一級て!
そう、モリミーの小説にはこういう小さい爆弾がたくさん仕込まれているので人前で読むときには十分注意が必要なのだ。

それにしても主人公の守田クンは本当にシャイな人だよなぁ。
寂しくて人恋しくて伊吹さん恋しくて仕方ないくせに、この文通は「恋文代筆業」を始めるための修行なのだとうそぶく。そして友人に、先輩に、かつての教え子に、森見登美彦宛てに(!)手紙を書いて書いて書きまくる。
その内容は、と言えば、やせ我慢あり、誇張あり、哀願あり、ドヤ顔あり、とバラエティに富んでいて、飽きることがない。中には、読んでいるうちに「この先、ど、どうなるの?」とハラハラする内容もあり、いつしか次の守田クンからの手紙を心待ちにしている自分がいたのだった。
(と言っても、ページをめくればすぐに手紙を手にすることはできるのだが。なんとなく、まだ来ぬ手紙を待つ気分。)
中でも、伊吹さんに宛てて書いたものの出せなかった「失敗書簡集」は抱腹絶倒だった。
こんなの出したら大変だったろうけど、よくこれだけ考え付くものだ。

で、いったいこの物語、どのように着地させるつもりなのか、まさかこのままダラダラと?と少々心配だったのだが、それは杞憂だった。
守田クンが辿り着いた「恋文の極意」。
それは本当にシンプルなものだったが、それだけに目からウロコで、彼の真摯な想いに胸がきゅんとした。

そういえば、その昔、私もドキドキしながら手紙をしたためた。相手が喜びそうなレターセットを選び、気持ちを込めて丁寧に言葉を選んで文章を書き、時々は写真や栞などを添えたりもした。ポストに投函する前の一瞬のためらい(だってコピーでもとらない限り、手紙って手元には出した内容が残らないのだもの。)返事を待って何度もポストを覗くわくわく感。久しぶりにそういう高揚感を思い出した。
手紙って本当に良いものなのだ。

最後の手紙は、果たして思う相手にきちんと届けられたのか。
そして受け取った人はどのような返事を書くのか。
ともあれ、守田クンの未来に幸いあれ、と祈ってやまない。

読み終えた今、心の中は何故かほんわかあったかい。
主人公はお約束のむさくるしい鬱屈した男子学生なのに。

ラブリーラブリーこりゃラブリー♪

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有頂天家族

有頂天家族 (幻冬舎文庫)有頂天家族 (幻冬舎文庫)
(2010/08/05)
森見 登美彦

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私が小さい頃、ワインといえば「赤玉ポートワイン」でした。
もちろん当時の私は子どもなので、ふだんは飲ませてもらえないのだけど、お正月とかお祝い事のときだけ、特別に小さなグラスにちょっぴり注いでもらって、そのあまぁい味を楽しんでいました。
早くオトナになって、あの甘くて美味しい「ワイン」をおもいっきり飲みたい、と熱望したものです。
そうなのです。あの頃私は、ワインというものは、すべてあんなふうに甘いものだと思い込んでいたのです。
オトナになって、ふつうのワインは甘くないのだと知ったときの衝撃と落胆といったら。
なので、私には「赤玉先生」が赤玉ポートワインをこよなく愛する気持ちがとてもよくわかるのです。

ふと思ったのですが、というか、森見ファンなら当然みんなわかってることかもしれないけど、森見作品がなぜこんなにもみんなから愛されるのかといえば、やっぱり登場人物(人外含め)がみんな「可愛くて愛おしい」からなのじゃないかな。
有頂天家族の登場人物(人外ばっかり?)たちも、やっぱりみんな総じて「可愛い」、いや森見的にいえば「カワユイ」。
実直で融通の利かない長男も、ヒキコモリの次男も、阿呆の血を最も多く受け継いだ三男も、気が小さくへなちょこな四男も、そしてツンデレ赤玉先生も、ナイスなトラブルメーカー弁天も、スーパーツンデレ海星も、悪役にしては間抜けすぎる金閣・銀閣も。みんなみんなとても可愛いのです。
読んでて常ににまにまへらへらして、思わず「ふふふ」と不気味な声が出てしまうほど。

でもね、のほほんとしたばかりのお話かといえば決して赤玉ポートワインほど甘くはないのです。
なんたって狸ですからね、決して食物連鎖の頂点にいるわけではないのです。弱い立場だったりもするのです。
私は、父親と次兄のエピソードのあたりで、うっかり涙ぐんでしまいました。
よもや森見作品で泣かされるとは。予想もしてませんでした。

それにしても、「食べちゃいたいほど好きなのだもの」は壮絶なほどに名言。
食物連鎖の上の位置にいるものは、そういう詭弁を弄しつつ、自らの矛盾する行為を肯定するのですね。
(と、"詭弁踊り"を踊りながら「どや顔」で語ってみたり。)
そんでもって、寿老人は、やはりあの、「李白」氏ですかね。偽電気ブランは狸製だったのか。

「面白きことは良きことなり!」

本当にそうだな、とつくづく思います。今、こんな時代だからこそ、という思いも込めて。

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ペンギン・ハイウェイ

ペンギン・ハイウェイペンギン・ハイウェイ
(2010/05/29)
森見 登美彦

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森見サンすげぇ。

もちろん今までもすごい人だとは思っていたけれど、ここまでとは思っていませんでした。
アンタもなかなかやるもんだねぇ。(by ちびまるこちゃん)

主人公の少年が大人びていて子どもらしくないとか賢すぎるとかいう方が多いですが、そんなことはないのです。彼は大人になろうと一生懸命なだけなのです。
今のお子様は大人になりたがりませんからね。なんたって現代は子どものほうが色々特典があってラクだしなぁ。
そういう意味では、子どもの殻を脱ぎたがる彼のほうが、そこらのお子様よりよほど子どもらしい。
たいへん伸びやかで健やかなお子さんだなぁとほのぼのしました。
言うなれば生真面目なクレヨンしんちゃん。どちらもおねぇさんが好きでおっぱいが大好きですからね(笑)。
それと他人の目を気にしないところが似ています。自分の感性を信じるというか、我が道をゆくところ。

私、しんちゃんのお話ですごいなと思ったのが、「うんちマン」のお話で。(お食事中だったらごめんなさい)
幼稚園のトイレで大きいほうをしちゃった男の子が「うんちマン」という渾名を付けられてみんなにからかわれているのを見て、しんちゃんが
「うんちマンかっこいい!オラはうんちマン2号になる!」
といってへーきでトイレで大きいほうをするんですよね。そうするとみんなも釣られて、いつしかトイレで大をするのが大流行するという(笑)。
そういう、周囲に流されない確固たる自分をもっているところが、とてもよく似ているなぁと思うのです。

スズキくんに自販機に縛り付けられても、プールで水着を脱がされても動じない。
そんでもって、「怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすると心がたいへん平和になるんだ」とかいう名言を吐く。
タダモノではないアオヤマくんが私はたいへん好きです(笑)。

それで、なんだか読んでいて不思議な感覚に陥るというか、アオヤマくんとウチダくんの会話が、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラ的なんですよ。
世界の果てを想像するアオヤマ少年、死の世界を考察するウチダくん。
ウチダくんの「だれも死んでいない」論は実にすばらしいなと思いました。実は私も同じような考察を「航路」を読んでしていたので、ウチダくんの言いたいことがとてもよくわかります。
そうなのそうなの。「死」は客観的な事象で、主観的にはだれも死んでないのよ。思いっきり頷いてました私。

そしてアオヤマくんの「エウレカ」。
「eureka」はアルキメデスが「アルキメデスの原理」を発見したときに、叫んだとされる言葉。
だれにでも、どんな小さい子にも、真理に気付く瞬間がある。「わかった!」って、ぱっと世界が拡がる瞬間があるのです。
ある日突然現れて突然消えたペンギンの謎、おねぇさんの謎、例の海の謎。
やまほど考え抜いて見つけ出したアオヤマくんの真理。
胸が苦しいぐらいドキドキワクワクしてしまいました。

辿り着いた真理は、結局つらい真実へと繋がってゆくのだけれど、まだ見ぬ未来へもちゃんと繋がっている。

もう少しオトナの男になったアオヤマくんに、是非また会ってみたいな。
きっと、とびっきり素敵な男子になっていることでしょう。

おっぱい好きは、治らないかもだけど。

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Author:道楽猫
日々子育てに仕事に大忙し。
でも家事は忘れても(・_・)読書は忘れない。
そんな道楽猫が、日々の暮らしの隙間をぬって読んできた本の感想を留めたくて開設したブログです。

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