スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから

あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだからあなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから
(2003/03)
ジュリア キャメロン

商品詳細を見る

改めてタイトルを眺めて気付きました。
「あなたも作家になれる」じゃなく「あなたも作家になろう」なのですね。
なるほど「なれる」だと途端にハウツー本のニオイが漂ってきますが、「なろう」だと何故かそうは感じません。
そして実際、この本は商業作家になるための本ではなく、心の声に耳を澄まし、頭に浮かぶ言葉をそのまま文字にすれば、書くことは決して特別なことではなく、そういう意味ではだれもが作家になれるのだ、ということをふんわりと優しく教えてくれる本なのです。

文章を書く時には、私もそうですが、だれでも少し気負いがあると思います。
巧く書きたいとか、文法的に間違っていないかとか、いつも気を配り目を光らせ、ムダに力が入ってしまっている気がします。

けれど、「書くことはもっとふつうのことだ」「思ったことをそのまま書けばいいのだ」「気持ちが乗らないときこそ書くべきだ」と、繰り返し繰り返し語りかけてくるこの本を読んでいるうち、

「昔、私はもっと楽しく普通に書いていた」

ことを思い出したのです。
文字を覚えたての頃は、チラシの裏にほとんど平仮名で壮大な夢物語を書いたりしてたし、学年末になると、中途半端に余ったノートに好きなことを色々書き散らしていました。
だけど、中学の頃、クラスメートに「そんなに書くことが好きなら作家になればいいのに」と言われ、ほんのちょっとその気になって(笑)いろいろ物語を書いてみて、その難しさに思い至ったのです。
「心の中で思っていることが上手く言葉にならない。」
そのひと言に尽きました。そうして、私は早々に「自分には才能がない」と物語を書くことについてはすっかり諦めてしまったのでした。

この本の中では、繰り返し「モーニングノート」を勧めています。
A4版ぐらいのノートを一冊用意して、毎朝3ページぐらいそこに好きなことを書く。
たとえば「職場のあいつがむかつく」とか「夕べ夫に酷いことを言われた」とか本当に思いつくまま、で良いそうです。(なんだか恨み言ノートになりそうな…)
そうやって書いていくことで、自分の本当の気持ち、書きたいこと、に気付くのだそうです。
それをしばらく続けていると、思い通りに書けるようになるそうですよ。

私もやってみようかなぁ、と思ったけれど、私のことだから文字より絵のほうが多くなりそうだなぁ。
昔から、教科書だとかノートだとかに落書きをしまくるタイプだったのです私。
ノート提出、と言われて焦りまくっていたなぁ。
でも、だれに見せるものでもないし、絵も描いていいよね。明日から早速やってみよう。

正直なところ、作家になるつもりもない私に、こんな本が役に立つのだろうか、と読む前は半信半疑でしたが、書くことに対して身構えたところがあった私に
「肩の力を抜いて、好きに書いていいんだよ」
と、単純でありながら、とても大切なことを教えてくれたこの本に、今は感謝しています。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村
↑書評じゃなくオバハンの主張になっちまったぃ。
スポンサーサイト

テーマ 書評
ジャンル | 小説・文学

幸福な食卓

幸福な食卓 (講談社文庫)幸福な食卓 (講談社文庫)
(2007/06/15)
瀬尾 まいこ

商品詳細を見る

なんともキモチワルイお話であった。

もちろん、主題は家族の再生なんだろうけども、全然清々しくなく、すっきりしない。
なまあたたかい風がずっと顔に当たっているような不快感。
そう、なんだかエアコン暖房のような、つくりもので、無理矢理なイメージ。
もわんとあったかいけど、窒息しそうでちっともぬくぬくしない。

そいでもってここの家族の食卓が、タイトルにそぐわず、ちっとも幸福な気がしないのはどうしたことだろう。
そうだな。割れちゃったお皿をセメダインかなんかでくっつけて、接着剤のニオイが明らかにしてるんだけど、みんなその事には触れずにニコニコとガマンしながらお料理を平らげる、みたいな。
もしかして、これって、実は家族という形をとったお人形が、そろって食卓を囲んでいるというオカルト話なのだろうかと思ったほどだ。

ああでも。
"家族"って、ひょっとしたら元々そういうものなのかもしれない。

「百鬼夜行抄」という漫画の中に、こんな印象的なセリフが出てくる。
親子だと思っていた男女が実はそうではなかったというくだりで、主人公のお婆ちゃんが
「そうじゃないかと思っていた。親子ってもんは、もう少し遠慮があるものよ。」
とつぶやくのだ。
読んだ当時は、ちょっと腑に落ちない気がしたもんだけど、よくよく考えれば確かにそうなのだ。
親子だから、家族だからこそ言えない、触れられないことがある。
暗黙の了解がまかりとおる狭い狭い領域。

そう考えれば、こういう形の思いやりは、理解できる。
お互いを思い合うが故に、父親は父親をやめ、母親は家を出る。
それもまたひとつの家族の在り方なのだろう。
けどなぁ。
理解できる、ということと、賛同する、ということは別問題であり、私はこういうキモチワルイ解決方法は好きではない。

別に体育会系のノリで
「みんな、もっと腹を割って話そうぜ!」
なんて能天気なことを言うわけではないけれど、何故、もっと単純に父親は母親を抱き締めず、母親は娘を抱き締めないのだろう。どうしてこんなにお互いの距離が開いているのだろう。

うちの夫婦喧嘩は時にとてもヒサンで
夫が星一徹のように卓袱台をひっくり返し、私は醤油差しをぶん投げて応戦し、かべ一面が醤油とカレーまみれになってしまったことさえある。それで
「あんたなんかとはもう一緒に暮らせない!別れてやる」
とお互い喚き倒すのだが、小一時間もすれば、そんなことも忘れて一緒にテレビを観て笑っていたりする。

子どもたちからすればとってもハタ迷惑な両親だろうが、たぶん夫は自殺しないだろうし私は家出をすることもない。
もちろんべたべたくっつくだけが良いわけではない。
何を幸福と感じるかも、人それぞれである。
けれど、ムスメの最大の悲しみに、あんな形でしか寄り添えない父親と母親は、とてももどかしく腹立たしい。
あの家族はやっぱり幸せではないと私は思う。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村
↑朝食には目玉焼きかオムレツがほしい。ふふふ。

テーマ 書評
ジャンル | 小説・文学

アメーバなう
オススメ
プロフィール

道楽猫

Author:道楽猫
日々子育てに仕事に大忙し。
でも家事は忘れても(・_・)読書は忘れない。
そんな道楽猫が、日々の暮らしの隙間をぬって読んできた本の感想を留めたくて開設したブログです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム
メールはこちら>>

*上(別窓)のメールフォームが表示・動作しない場合はこちら

検索フォーム
今読んでる本
dorakunekoの今読んでる本
リンク
つぶやき
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

BK1
書評の鉄人
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。