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地球移動作戦

地球移動作戦 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)地球移動作戦 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)
(2009/09)
山本 弘

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"未来"という言葉には、漠然とながら、明るいイメージがある。
しかし、そこに"地球の""日本の"という言葉がプラスされると、途端に暗澹たる気分になってしまうのはどういうわけだろう。
ほんの少し前までは、確かに日本の未来も地球の未来も明るかったはずなのに。

私は(年齢がバレてしまうが)、人類が月に降り立った様子を子どもの頃テレビで見た年代である。
近所のお風呂屋さんに行く道すがら、夜空に輝く月を眺めて「うさぎはいなかったねぇ」と母と話しながらも、何となく、科学の力がもたらす薔薇色の未来に、胸がワクワクしたことを覚えている。

いったいいつから、科学は魔法の力を失ってしまったのだろう。いつから、世界は輝きを無くしてしまったのだろう。
人類が大航海時代の逞しさを取り戻すことは、もう二度とないのだろうか。

いやいや、そんなことはないのだよ。人間はどんな苦境をも乗り越えられる程度に逞しく、そしてそんな人間が操る科学はやっぱり万能なのだよ。

というような感慨をもたらしてくれるのがこの本である。


人類滅亡の危機が27年後に訪れる。
それが逃れようのない事実であったとしたら。
その時人間は、その恐怖とどう闘い、それをどのように回避してゆくのか。

「妖星ゴラス」という古いSF映画へのオマージュ作品でもある本作は、遠い宇宙の彼方から27年後に地球に最接近する惑星がもたらす厄災から、人類が叡智を結集して逃れることがテーマとなっている。
今よりずっと科学が発達した未来の世界でありながら、そんな大きな天体が、何故そんなに近づいてくるまで気付かれなかったかと言えば、実は、彼の星は、目に見えない鏡像物質(ミラー・マター)で構成されていたためである。
(よく考えてあるなぁ。)
で、ミラー・マターは、どんな物質をも透過してしまうという性質があることから、彼の惑星自体を動かすことは不可能。
じゃあ、どうすりゃいいの?と世界は大パニック。

で、優秀なる科学者は考えた。

"押してもダメなら引いてみな"

ってんで、なんと地球と月の軌道を変えちゃおうぜ!という壮大なプロジェクトがついに始動したのだ。

もちろん、地球の危機だからと言って、すぐに世界がひとつになったかと言えば決してそんなことはない。
様々な思惑、各国の利害、思想、そんなものに邪魔され、計画は遅々として進まない。
この物語中には、大きな軸として「ACOM」という存在があり、これはARなる拡張現実の世界に存在するバーチャルな人格のことであるのだが、そのACOMに人類の未来を託そうというような、厭世観に満ちたアイディアに多くの人々が魅力を感じて心動かされたりもしてしまう。

実は、正直なところ、登場人物にはあまり魅力を感じず、なかなか感情移入も出来なかった。
そのせいか、いよいよ作戦が始まっても、あまりドキドキもワクワクもハラハラもしない。
なのに…なのに、である。
なんでこんなにもクライマックスで涙が出てしまうのか。
それはきっと、今の日本の境遇に、思いを馳せてしまったからだろう。
それもまた、物語の持つ力だ。

作戦が成功してもしなくても、どうやっても多くの犠牲は出てしまう。
地球で運命に翻弄される人々も、地球移動作戦に関わり闘う人々も、そしてバーチャルな人格であろうと、すべての命は決して「駒」ではない。心がある。失われた命があれば、それを悼み、嘆く者が確実に存在するのだ。

けれど人は負けない。

作中に流れるのは「シュテルンシフリート」という曲だが、私の頭の中では、ずっと別の音楽が流れ続けていた。

それは「甲斐よしひろ」の「嵐の季節」という歌。
甲斐バンドのファンでなければきっと知らない名曲。

そうさコートの襟を立てじっと風をやり過ごせ
みんな拳を握り締めじっと雨をやり過ごせ
今は嵐の季節



耐える時間は長く、辛い。
今、日本は耐えねばならない時期なのだろう。
けれど嵐はいつか止む。吹き飛ばされないように立ってさえいれば。
高次元の神ではない私たちは時間を操れないから、過去は捨てて未来に踏み出してゆくしかない。
戻れない時間に縛られ、もがきながら、嘆きながら、じっと雨をやり過ごすのだ。

空の彼方に、微かに明るい日が差したら、雨も終わり。
SFは、やっぱり祈りであり希望だ、と私は思う。

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アイの物語

アイの物語 (角川文庫)アイの物語 (角川文庫)
(2009/03/25)
山本 弘

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遠い未来。そこではすでに人類は衰退し、地上は人類が生み出したアンドロイドたち機械に支配されている。
わずかに残った人々は住む場所を追われ、自分たちを駆逐したアンドロイドから身を隠しつつ各地で細々と暮らしていた。
そんな中、アンドロイドの「アイビス」は、自らが捕らえた「語り部」と呼ばれる一人の少年に、まだ人類がその栄華を極めていた時代にヒトの手によって創り出された古い物語(当時のSF)を語って聞かせる。
そう、これはアンドロイドの語る"千夜一夜物語"。
―― そうして少年は、アイビスによって人類の歴史についての驚愕の真実に辿り着くこととなった。

SFは苦手だと言う人が多い。何故だろう。
つらつら考えるに、それは「本格SF」と銘打たれているものには"理屈っぽく小難しい"ものが多く、その敷居の高さが読む人を選んでいるのだろうと思う。
確かに「オールタイムベスト」をざっとながめると、そういうものが多いのは事実である。
私自身、完全に文系人間なので、わけわからん理論をだらだらと説明されてもアタマに「?」がずらっと並ぶだけでちっとも理解できないし、だからきっとそういう小説を書く作家からすれば、私なんぞはまったく無用のオチコボレ読者なのだろうけど、この頃はもうすっかり開き直っていて、わけわからん部分は適当に解釈して(意外と卑近な喩え話に置き換えるとわかった気になれるものだ)、理屈よりもストーリー自体に目を向けるようにしている。そうすると、本当に面白いお話ぞろいなのだ。
だから、難しいからという理由だけで敬遠しているなら、それは実にもったいないことだと思うのだ。

で、そういう方には、日本の作家であれば、私は山本弘をオススメする(海外ならばソウヤー)。
山本弘は、SFの敷居をうんと低くしてくれる。この人の書くSFでは、小難しい理論もできるだけわかりやすく説明してくれているし、物語もエンタメ性に富んで飽きさせない工夫が凝らされている。
長縄をうんとゆっくり回して「さぁ、お入んなさい」といざなってくれるのだ。
実にわくわくする。SFって本来、ワクワクハラハラドキドキする夢物語のはずなのだ。
しかも、この「アイの物語」には、ひとつの物語として独立した作中作が7本も入っている。お得感満載ですよ、そこの奥さん!(誰?)

さて、この物語に登場するアンドロイド「アイビス」の「アイ」は「I(私)」であり「AI(人工知能)」であり、もちろん「愛」である。
そしてもうひとつ。忘れちゃならない
「虚数」の「i」。

ヒトを遥かに凌駕した知能を持つAIのアイビスが、何故繰り返し、"ただの人間"にヒトの創った物語を読み聞かせるのか。その意図は何か。

物語は所詮バーチャルだと世の人々は言う。
そんなニセモノの世界にばかり固執せずに現実に目を向けるべきなのだと。
そういう主張をする人は、私がそこで得た感動や、流した涙もまた、ニセモノだと言うのだろうか。

物心ついた頃から私は本を読むことが好きで好きで大好きで、暇さえあれば頭までどっぷり本の世界に入り込んだ。そこで繰り広げられる物語に酔い、本の中で私は実に色々なところに旅をした。様々な立場の人々の暮らしを知り、目を開かされてきた。
物語の世界では、自由に宇宙にも行けるし、銀河鉄道にさえ乗ることができるのだ。
(小学生の頃、私は本当にジョバンニやカムパネルラと一緒に銀河鉄道に乗ったと今でも思っている。)

スポーツの世界でも、イメージトレーニングが大切だとよく言われる。
頭の中で手順を繰り返し繰り返しなぞり、「出来る自分」をイメージすると、実際に行動に移した時にもイメージ通りに上手くいくことが多い。これは多くの人が経験していることだろう。

そう、まさに、その想像力こそが人が持つ最大の力なのだ。

作中作の一つ「詩音が来た日」の中で、アンドロイドの詩音は言う。
「すべてのヒトは認知症なのです。」
ヒトは物事を正しく認識することができない。すべての物事は脳の中でバイアスがかかり、まっすぐ認知することはない。見たいものしか見ない。聞きたい声しか受け容れない。だからいつまでも争いをやめることができないのだと。
世界の現状に目を向ければ、残念ながらその通りだと言わざるを得ない。

それでも、と私は思う。
ヒトの想像力は、宇宙ステーションを作り出し、ロケットを月へ飛ばした。
アンドロイドは、論理的思考により物事を「推理」することはできるが、「想像」することは出来ない。
「SFは死んだ」と言われる今こそが、最も想像力の必要な時代ではないのか。
理解できないものは、大いなる想像力をもってただ許容すればいい。


アイたちアンドロイドの言葉を借りれば

私たちはお互いのことを「茶碗の中ほども」理解できないけれど(3+5i)
愛があればすべてOK(3+10i)

これで完璧。


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去年はいい年になるだろう

去年はいい年になるだろう去年はいい年になるだろう
(2010/04/02)
山本 弘

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もうずい分前になるけれど、この人の書いた「時の果てのフェブラリー」と「サイバーナイト」を読んだ。
山本弘と言えば、世間的には「と学会」会長の名を出すほうが通りが良いだろうが、私にとっては「トンデモ」についてはどうでもよい。
単純にこの人の書くSFはとてもわかりやすく面白い。難解な理論もわかりやすく噛み砕いて説明してくれ読者に優しい。だから好印象を抱いている。
その山本弘さんが、また面白いSFを書き、それが星雲賞を獲ったというので、「これは是非読まねば!」と遅れ馳せながら手にしたわけだ。

9.11が起こったのって、2001年だったんだ。もう10年にもなるのか。
今でも、あの信じられない映像は目に焼きついている。CGかと思ったぐらい凄かった。
あれが"なかったこと"になるのなら、諸手を挙げて歓迎する人も多いだろうな。
けれど、本来起こるべき出来事って、そんな簡単に回避しちゃって大丈夫なのか?
(どうしても、回避してほしかった出来事も、あるけれど…。特に今年は思うところも色々ある。)

私は、昔から占いは無意味だと思っている。
たとえば、「あなたは右の道に行くと事故に遭う」と言われ、それならと選んだ左の道でもっと悲惨な目に遭うかもしれないし、ある出来事を回避したせいでそこからの未来が大きく変わることも有り得るだろうと思っているからだ。
遠い未来からオーバーテクノロジーと共にやってきたガーディアン(アンドロイド)がそんな単純なこともわからないはずはない。
彼らは、"その時代の人類を救えとプログラムされている"からそう動いているに過ぎない。
ガーディアンにとって「目の前の人間を守る」ことのみが使命であり、善なのだ。
それがどういう結果を招こうと、彼らにとっては知ったこっちゃない。
アンドロイドたちにとっては、さかのぼる1年1年が実験であり練習台。
いつも「次こそはもっとうまくやろう」と思うのみだ。
まさに「去年はいい年になるだろう」と思いながら人類救済に血道をあげる。
だがそれに巻き込まれる人類のほうはたまったものではない。

荒唐無稽とも思えるこのようなお話が、何故これほどリアリティをもって迫ってくるのかといえば、それはやはり「山本弘」という実在する作家の「手記」という形がとられているからだろう。
作者であり主人公でもある「山本弘」もガーディアンの出現によって、様々な被害に遭うこととなる。
けれど、それはガーディアンの出現のせいではなく、すべて自らの行動が招いた結果であると、実にSF作家らしい視点で客観的に自らを省みる。
私なら、どうだろう。そうも客観的になれるものだろうか。
「コイツらさえ来なければ」
そういう思考に陥りそうだ。
相手のせいではない。すべて自分次第。
いつもそう言い聞かせて行動しているつもりではいるけれど、許容量を超えるほどの出来事が起こったときにもそう考えられるか、自信はない。

ただ、私は思うのだ。
来年をいい年に出来るのが今の自分次第であるならば、
去年をいい年に出来るのも、今の自分だけ。

人は、過去にも未来にも生きられないからね。

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Author:道楽猫
日々子育てに仕事に大忙し。
でも家事は忘れても(・_・)読書は忘れない。
そんな道楽猫が、日々の暮らしの隙間をぬって読んできた本の感想を留めたくて開設したブログです。

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