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冷たい校舎の時は止まる

冷たい校舎の時は止まる(上) (講談社文庫)冷たい校舎の時は止まる(上) (講談社文庫)
(2007/08/11)
辻村 深月

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冷たい校舎の時は止まる(下) (講談社文庫)冷たい校舎の時は止まる(下) (講談社文庫)
(2007/08/11)
辻村 深月

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雪が降りしきる校舎に閉じ込められた8人の生徒たち。
わずか数ヶ月前に学校で自殺した一人の生徒の名前が彼らにはどうしても思い出せない。
その生徒は8人の中の誰かなのだという。
白一色に染められた風景の中、時計は時を刻むことを止める。
果たして誰が彼らをそこに閉じ込めたのか。犯人の目的は何なのか。
止まった時計が再び動き出した時、何かが起こる。

全部で1000ページ超というとてつもない長さに、"冷たい"というタイトルとは裏腹な、作者の執念と熱を感じる作品。これがデビュー作とはすごい。

っていうか。

雪が降ってとっても冷たくなった校舎の中の時間だけが止まっちゃったよ

って、タイトルそのまんまやん!  

と、思わず突っ込んでしまうぐらいドストレートなタイトルにもオドロキ。
でもなんか、逆にそれがいいんですよね。あんまり捻ったタイトルじゃないほうがこういうストーリーには向いてる気がするし、その単純さと意味不明さが、こー、妙に興味をそそられるんだな。


上巻の初めから下巻の途中まではずっとホラーテイストです。
"名前を忘れられた"生徒が自殺した時間になると、8人のうちの誰かがいなくなってしまう。
その犯人の忍び寄り方がね、もうね、ホラー映画の王道の手法でね、とっても怖いんですよ。

来るよ…

来るよ…

ほら来た!ぎゃーす!

みたいな。

そんでもって生徒が消えた場所には、その人物そっくりのマネキンが転がってるとか。怖すぎます。
実は後半になるとホラーじゃないことがわかりますが、怖がりさんは夜には読まないほうがいいかも。


それはさておき、このお話、登場人物がみんなお勉強が出来る子たちなんですよ。
県下で一番の進学校が舞台だから当たり前っちゃ当たり前なんだけども。
だからなのか、なんか高校生にしては老成しているというか皆さん大人過ぎて、それぞれが抱えてる傷はその年代特有のものにも関わらず、対処法がとても冷静。
とりあえず、関西人の私としては、高校生の男の子の「…でしょ?」はちょっとキモ…げふんげふん。

それと、主人公的位置付けの「辻村深月」(本当は"辻"の字に点がいっこ多いけど変換で出てこない)がいちいちうざい。前半ではこれでもかというぐらいの「純真で何も悪いことをしていないのにいじめられる可哀想な人」アピール。作者と同じ名前(よく見ると辻の字がちょっと違うんだけどね)を付けた上でのこのキャラメイクはどうよ、とかなり呆れました。
実は後半になって「大人しいだけじゃなく純真でもない」というその裏の顔はちゃんと見せてくれるわけで、そこらへんはやっぱり辻村深月らしいなぁと思えるんだけど、でも結局はとってもとってもハタ迷惑な騒動を繰り返すっていうね…。
その周囲の巻き込み具合が、私は好きじゃないんだよなぁ。
堂々と「助けて」って言えばいいのに。言えないならそういうそぶりを一切見せんなよ!
ああ激しくウザイ。こういう女、大嫌い。

こんなに大々的に痛々しく、派手にみんなを巻き込まなきゃ前に進めないのかね。
バックブラストすごすぎるだろーよ。みんな黒焦げだよ。

多かれ少なかれ、人は誰でも、他人に対する後ろめたさとか罪悪感とか、色々抱えてるんじゃないかな。
でもそのツケは、やっぱり一人で払わなきゃならないんじゃないだろうかね。


というわけで、ストーリーと登場人物には色々と思うところもあったわけですが、こういった仕掛けというか、舞台装置自体は嫌いじゃないです。
元々SFだのファンタジーだのは大好物なので、「ドンと来い超常現象」です(古)。
フロイトでしたかね、「集合的無意識」とかありますよね。
根本的な部分でみんなの意識が繋がっているのなら、こういうことが起こっても、不思議だけど不思議じゃない。
大島弓子の「綿の国星」にもこういうお話があったなぁ。あっちは猫が引き起こしたわけなんだけど。

というわけで、つらつら語ってしまいましたが、結論。


最後まで読んでもどうにもこうにも腑に落ちない。

だって私、どんなに考えても、巻き込まれちゃった挙句、執拗に犯人から反省を促された他の生徒たちって


何を反省しなきゃならなかったのかさっぱりわからなかったし。
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ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (100周年書き下ろし)ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (100周年書き下ろし)
(2009/09/15)
辻村 深月

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痛い。

なんというか、手と言わず足と言わずどこもかしこもグサグサグサグサとナイフで突き刺されているような痛みを、読んでいる間中、初めから終わりまで感じ続けた。
終わり近くにはついに心臓にまで達し、もう少しで息の根を止められるかと。

ああ痛い。痛くてたまらない。

読み終えて、大きく息をついた。

女なら、誰でもが思い当たる負の感情を剛速球でぶつけられ続け、自分の中の暗い沼の深淵を鏡に映し出されるような不快感を覚えつつも、どうしても読むのをやめられない。
辻村深月も女性だからなぁ。容赦ない。

女どうしは難しい。
友人関係であろうと、母子であろうと、それは同じ。
相手の言動に自分を映し出し、嫌悪する。嫌悪しながら同時に惹かれる。そしてそんな自分がまた嫌いになる。
けれども、一方で、湧き出る自尊心を抑えきれない。相手に同情しつつ蔑んでいる。
「気持ち、よくわかるよ」「可哀想に」
なんて同情を寄せつつ
「私の方が上だ」「私はこんな女とは違う」
だれもがどこかでそんな感情を抱いているのではないか。
図星を突かれ過ぎてズキズキする。

みずほとその母の関係も、チエミとその母の関係も、どこかで自分自身に思い当たり跳ね返ってくる。
私と母との関係は良好ではあったけれども、私はたぶん心のどこかで、常に良い子、良い娘であることを期待されることに反発し、母の愚痴を聞かされることにうんざりしていた。
母にとって私は"最後の砦"であった。他の家族がマトモでなかった分、私が真っ直ぐに良い子に育って普通に就職し普通に結婚することを母はずっと期待していた。

母親は常に娘を支配し続けようとする。
娘はどうするか。そこから逃れようともがくかそれともチエミのように共依存の関係を築き上げるか。

みずほやチエミのような極端なケースではなくとも、いずこも、たとえ姉妹のように見える母子の間にも、きっと大なり小なり確執はあるだろう。
母も女。娘も女なのだ。

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」は究極の母性の言葉。そして呪いでもある。

大勢の中から、一瞬の間にたった一人の自分の娘を見分けることが出来てしまう。
自分の中にも確かに存在する母性に胸が熱くなる。
そして、娘であるみずほの気持ちも理解できながらも、やっぱり「酷いよ。」とつぶやいてしまう。

ああ私は今、どうしようもなく母なのだな、と思う。

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スロウハイツの神様

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)
(2010/01/15)
辻村 深月

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スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)
(2010/01/15)
辻村 深月

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なんなんだ?辻村深月という人は。

ここまで読者を置いてけぼりにして突っ走っても、みんな付いてきてくれるという自信があったのか。
それとも、途中で脱落したならそれでいいと思っていたのか。

私は正直途中離脱しそうだった。

上巻のあまりのつまらなさに。
主人公の「赤羽環」の魅力のなさに。

きっと以下の2点がなければ下巻は読まなかっただろう。

チヨダコーキの、"とあるひと言"にどうしても合点がいかなかった
辻村深月作品がこんなクソつまんないお話で終わるわけがない

最後まで走り抜いて本当に良かった。
下巻に入ってもなお、ぜんぜん面白くならなかったのに…
どうして残り三分の一を切ってから、いきなり話がひっくり返るのか。

私がひっくり返ったじゃないか。
そうかそうかそういうことだったのか。
最後は涙で前がみえなくなったじゃないか。
どうしてくれようおのれ辻村め。

伏線は、確かに色々あったんだよね。
ほとんどは私の思った通りだったし、伏せられていたあれやこれやについては、特にヤラレタ感はない。
ひっかかっていたコーキのあのひと言だって、「たぶんそういうことじゃないかな」とは思っていた。
だけどだけどまさかここまでとは。

いやいやいやいや。ほんとにね。
この人の描く女主人公って、大体が初めはイヤなヤツなんだ。
特に赤羽環なんて、自分の手で栄光をつかもうとしているクリエイターだからね。
気が強くて傲慢で、「権力バンザイ」とか自分のアパートに住む住人を「面接」して「特に気に入った人しか住まわせない」とかもう本当に鼻持ちならない。
他人を勝手に分析してわかった気になっていたり、かと思えば中途半端な情をにじませたり、勝手に傷ついたり、ほんっと「なんだかなぁ」と溜息が出るような人物像。
主人公がイヤになると、それ以上読み進めるのが本当にツライのだ。

それだけに、あのラストのドンデン返しは実に見事だった。
私の中のチヨダコーキ像が、赤羽環像が、完全にひっくり返った。
そして読み終えた後はしみじみと、
「ああいいお話だったなぁ」
なんて思っちゃったりしたのだ。

なんなんだよほんとにもう。

やっぱり辻村深月はタダモノではない。
だけど今作はちょっと文章が荒れていた気がする。
この人の「○○○で、だから○○○」という独特の言い回しというのはクセだと思うんだけど、今回は特にそれが目立っていてちょっと気になった。同じ表現が続けて2回出てきたりとかね。それも効果を狙ってのこととは思えない場所だったし。
地の文が気になってしまうというのはあまり良くない文章ってことだと思うのだ。
そこだけが残念。

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ぼくのメジャースプーン

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)
(2009/04/15)
辻村 深月

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主人公の「ぼく」には、とある"力"がある。

○○をしなさい。さもないと××になる

そんなふうに、言葉で条件を提示することで相手の行動を縛ることができるという特殊な能力。
私はSFが好きなので、今まで色んな超能力を見てきたけれど、こういう能力には初めてお目にかかった。
…っと思っていたら、「子どもたちは夜と遊ぶ」の秋先生が同じ能力者として出ているじゃーないですか!
ああ、あの時のアレはそういうことだったのねん
と、こっちを読んで今更ながら、秋先生の仕掛けたマジックに気付いたり。
ふだん穏やかに見える人ほど怒らせると怖いのね。
まぁ、でも「子どもたちは夜と遊ぶ」を未読でも全く問題はない。
読んでいたほうがもちろん楽しめるけど。

さて、その能力。
使いようによっては、人を陥れることにも使えるし、最悪相手を殺すこともできる。
しかも自分の手を一切汚さずに。それは一種の呪力とも言える。

だれにでも優しく、穏やかで、とても頭の良い女の子「ふみちゃん」。
歯の矯正具をつけ、眼鏡をかけていることで、自分が人より美しくないことを自覚し、万事に控えめなため、他人にいいように利用されることもあるが、決して怒らず、いつも笑顔を絶やさない、とても心根の良い少女。
ふみちゃんは、大切に育てていた学校のうさぎを、心無い男によって残虐な方法で殺され、それを目の当たりにしてしまったことで、心が壊れてしまう。
大好きな「ふみちゃん」を傷つけ、心をふみにじった憎い犯人に罰を与えるため、その"裁きの力"を、主人公の少年はどのように使ったのか。

メジャースプーンというのは、ふみちゃんがいつもキーホルダー代わりにランドセルに付けていた、うさぎの柄が施された3本一組の計量スプーンを指している。
ふみちゃんからもらったそのうちの1本を、「ぼく」はお守りのように握り締め、犯人に与えるべき"罰をはかる"。
秋先生は言う。

「さじ加減というのは、大事なんですよ。注意深くやらなければ、用意した材料もかけた手間もすべてが台無しです」

けれど、そもそも人が人を裁くのは正しいことなのか。
たとえば、うさぎを殺すことはいけないというけれど、では蚊を殺すことはどうなのか。
命の重さはうさぎも蚊も同じではないのか。
そして、罰とはなんなのか。
社会が溜飲を下げるために与えられるものなのか、それとも罪を犯した者に自らの罪を悔い改めさせるためにあるものなのか。

秋先生とたくさんたくさん話をし、考えに考え抜き、犯人に与える「罰」を決めた「ぼく」。
「ぼく」の出した結論に、私は正直、頭をガツンと殴られたような気がした。
戦慄を覚えた。
なんて真っ直ぐで純粋なのだろう。
「ぼく」の、ふみちゃんに対する深い愛情に涙があふれて仕方がなかった。


前にも書いたように、辻村作品はあちこちで登場人物がリンクしている。
「名前探しの放課後」のトリック(?)は本書を未読の場合、わからないようになっている。
わからなくても、問題ないといえばないけれど、面白さは半減するだろう。
そして、前述のとおり、「子どもたちは夜と遊ぶ」の謎のひとつが本書で明らかにされている。
そういうのを少しずつ繋げて考えるというのも、辻村作品を読む楽しみのひとつである。

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凍りのくじら

凍りのくじら (講談社文庫)凍りのくじら (講談社文庫)
(2008/11/14)
辻村 深月

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「あなたの描く光はどうしてそんなに強く美しいんでしょう」

「暗い海の底や、遠い空の彼方の宇宙を照らし出す必要があるから。そう答えることにしています。」

ドラえもんの作者、藤子不二雄はSFのことを「少し(Sukoshi)不思議(Fushigi)」と表現したという。
ドラえもんに強く影響を受けている主人公「理帆子」は、それになぞらえて、自分の身近にいる人たちの印象を「スコシ・ナントカ」と喩える。

「少し・ファインディング」
「少し・フリー」

そして自分自身は「少し・不在」。

必要以上に自己主張をせず、周囲に溶け込むフリをしつつ、その実、その場所には決してなじんでいない。
アタマの悪い友人たちを見下し、本当の自分はそこにはいないと身勝手な疎外感に浸る。

そんな「理帆子」は、本当は自分が「少し・痛い」ことを知っている。
心の底では強烈に人を求めている。
だからこそ、現実を見ることが出来ず身の程知らずな高みばかりを目指す「若尾」と離れられず、なぐさめ、励ましつつ自分の価値をそこに見い出す、言わば共依存のような関係に陥っている。
でもやっぱり「若尾」のことは「少し・腐敗」していると心の中では友人たち同様見下している。

そんな日常が、「少し・フラット」な高校生「別所」や、口が聞けず「少し・不足」な男の子「郁也」たちとの出会いによって変わってゆく。初めは少しずつ。そして、ある決定的な出来事を境に大きく。

そこから彼女は様々なことを学んでゆく。
自分に見えているのは、その人のごく一部にしか過ぎないのだということ。
自分は孤独ではなく、その気になれば居場所はどこにでもあるのだということ。
何より自分には価値があるのだ、ということ。

そうして、物事がいい方向へと向かい始めた矢先に、事件は起こった――。


この物語では、ドラえもんの「ひみつ道具」がガジェットとして非常にうまく用いられている。
実は、私はドラえもんについてはテレビアニメで時々観る程度の知識しかなく、こんなにも様々な「ひみつ道具」があったことを知らなかったし、こんなにも深いお話だったのだということも全く知らなかった。ドラえもん、恐るべし。
(でも私はあまりドラえもんは好きではないのだけど。)

ラストのドンデン返しは非常に感動的。
あちこちにばら撒かれたヒントから、タネ明かしの前に私はそのからくりに気付いてしまったし、まぁよくある仕掛けだよね、とは思うのだが、そこにもドラえもんの「ひみつ道具」が巧みに使われ、実に「少し(Sukoshi)不思議(Fushigi)」な世界を醸し出している。

そして「理帆子」は光に導かれ、救われる。
同時に、読んでいる私も、癒された。


辻村深月の書く物語は、たいてい「少し・毒入り」。
でもみずみずしく美しい。
そして、登場人物が別の作品にも少しずつ繋がってゆくところが楽しい。

実のところ、私は辻村深月という作家が好きなのか嫌いなのか、よくわからない。
あざとい、と腹を立てることも多いし、愛せないタイプの主人公が多くてうんざり、とも思っている。
でも何故か、書店でこの人の本を見かけると、つい手に取ってしまう。
おそらく「同族嫌悪」なのだと思う。だから気になるのだ。

新しい本が出たら、きっとまた読まされてしまうのだろうな。

「少し・悔しい」(笑)。

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Author:道楽猫
日々子育てに仕事に大忙し。
でも家事は忘れても(・_・)読書は忘れない。
そんな道楽猫が、日々の暮らしの隙間をぬって読んできた本の感想を留めたくて開設したブログです。

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