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切り裂きジャックの告白

切り裂きジャックの告白切り裂きジャックの告白
(2013/04/27)
中山 七里

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久々に面白くて一気読み。

普段は大変な遅読っぷりを誇る私なのだが、ごく稀にとてつもないスピードで読み終えてしまう本がある。この本もそういう一冊。
そう、先が気になってうずうずしちゃって途中で止まらなくなるのだ。

同じ作者の「さよならドビュッシー」では叙述ミステリーと知りつつすっかり騙されてしまったので、今度こそは絶対騙されまいと注意深く読んだつもりだったのだが、やっぱり見事に騙されてしまったよ。うーん悔しい!
でも仕方ない。あのドンデン返しはとても素晴らしかったもの。うん、悔しいけれどここは素直に拍手を送るよ。

というわけで、読んだ人は誰でも最後の最後に「あ」という声が出ること間違いなし!


脳死と人の死の問題や、臓器移植の是非については、色々な意見があるのは周知のことで、私個人にも思うところはある。
どこまでがヒトの踏み込んで良い領域で、どこからが神の領域かなんてきっと誰にも分からないし、どんなに議論を尽くしても明確な境界線なんてどうやったって引けないだろう。
冷静な目で見れば、脳死は決して人の死ではないと私には思えるけれど、翻って自分の身に引き寄せて考えれば、身内の命の危機となれば、他人の臓器をもらってでも助けたいと思うのもまた事実。だから私は臓器移植そのものを否定する気にはなれない。

ただ、移植医療は決して純粋な善意のみで成り立っているわけではなく、現実には様々な立場の人々の欲望や思惑も多く絡んでしまっているという側面もあり、この本で垣間見る通り、綺麗事では語れない部分もたくさんあるのだろうなと想像する。
でも、それにしたって…。
そんな理由で本当に人殺しが出来るものなのか、という疑問は、読んでいる間ずっと付きまとっていた。

そしてラスト、驚愕のドンデン返し。
「真」犯人の本当の動機を知り、なんというか、拍子抜けというかひどく暗澹とした気持ちになってしまった。
この動機について納得できるか否かで、ある意味この本の評価は大きく分かれてしまう気がする。
「そんなことで」と思うのか、それとも「そんなこともあるだろうな」と頷くのか。
私は、悲しいことになんとなく犯人の気持ちが理解できる気がしてしまうのだ。そしてそんな自分に嫌悪する。

失敗体験のない人ってとても脆い。失敗したり悪いことして怒られたりっていう、人生において普通の人ならごく当たり前に経験してくるはずのことを、全く経験してきていない人って、とても傲慢で、そしてびっくりするほど弱い。
昔から真面目で優等生だった自分自身にもそういう部分があることを常々感じているので、この犯人の動機には、ある意味身につまされる部分がないでもない。
けれども、他人の命をないがしろにするような、そんな恐ろしい行為ができるのであれば、自己保身に走る前にそういう弱い自分を乗り越えて欲しかったと強く思う。

それだけに、エンディングの、素朴だけれども至極真っ当な、血の通った人間の行為を目の当たりに出来て、なんだか救われた思いがした。

人間の臓器は、やっぱりただの物でも機械でもない。色々な事情はそれぞれあるだろうけれど、様々な思惑を超え、「医は仁術」と胸を張って言える、そういう医療者が増えてほしいと心から願っている。

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おやすみラフマニノフ

おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)
(2011/09/06)
中山 七里

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「さよならドビュッシー」の続編と銘打たれているが、同時系列でのお話なので、続編というより姉妹編だろう。
前作が面白かったので、こちらも期待して手に取ってみた。

が…。

かなーり薄味。

「さよならドビュッシー」のエッセンスと中の具をちょっと使って10倍ぐらいに薄めてみました、なイメージ。
謎解きの重要人物としてちゃんと岬先生は出てくるし、あの「プチ子ヘミング」も登場するんだけど、
なんというか、とっても軽いのだ。

もちろん音の表現は今回も素晴らしかったんだ、うん。
臨場感もばっちりだし、バイオリンをよく知らない私にも、その音の凄さは十分に伝わってきた。

でもね。
なんだか途中で飽きちゃった。
前回は、主人公がそれこそ死に物狂いで、崖っぷちに立っての挑戦だったから、延々と一曲丸々表現されても手に汗握る感じで読み進めることが出来たわけだけど、今回はね…まぁ本人にとっちゃ死活問題だったんだろうけどさ……結局のところ、コンクールというわけでもなく、定期演奏会だもんなぁ。
で、作者には本当に申し訳ないけれど、何ページにもわたる素晴らしい音の表現の部分は、ついつい読み飛ばしちゃったのだ(すみません)。

犯人も、途中で目星はついてしまうし、ミスリードもちょっとミエミエな感じだったのでさすがに引っかからず、ミステリーとして読むとしても中途半端でつまらない。

何より致命的なのは、やはり前作同様、人物表現が巧くないこと。
セリフがセリフにしか聞こえないのだ。血の通った人間がしゃべっているように思えない。
そしてかなり説教くさい。この部分でかなり興醒め。
言いたいことはとてもよくわかるし、良いこと言ってるんだけどね。

主人公の、初音さんに対する想いもあまり伝わってこないし、柘植学長の人となりも見えてこない。
そんなこんなで感情移入が難しいため、肝心のクライマックスも心を打たなかった。
ていうか、演出に凝り過ぎ。

結局最後まで、酔った作者の一人語りを少し離れたところから冷めた目で眺めているような置いてけぼり感満載で、前作がとても良かっただけに非常に残念だった。

でも何故だか次作も懲りずに挑戦したいなと思っている。
「残念」だと言うのは、やはり作者にどこかしら期待しているからこそ、なのだ。

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家守綺譚

家守綺譚 (新潮文庫)家守綺譚 (新潮文庫)
(2006/09)
梨木 香歩

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しんとした、静謐な世界。

水墨画のような風景の中、風がさわさわと庭を通り抜け、池でとぷんと小さく水が跳ねて波紋が拡がる。
そこではサルスベリの木が人に懸想をし、河童がしばし逗留し、もちろん狸は人を化かす。
そして座敷の掛け軸の中から、湖で行方不明になったはずの友人が、何気にボートを漕いでやってくる。
一見すると怪談かとも思われるような物語が、ここではごく当たり前の情景として静かに語られるのだ。

昔、少し生け花を習っていたことがある。
そこの先生がおっしゃられていたのだが、植物にはどうも
「手を嫌う」
ということがあるらしい。人参などは、蒔き手によっては全く芽を出さないそうな。
嘘か本当かわからないが、相性、というものは、確かに植物と人の間にもあるのだろう。
そしてそれはもちろん、動物と人の間にも存在する。
ゴローが何を思って綿貫の家に居つくことにしたのか、それは常人には知り得ぬことだけれど、ゴローはたいへん偉大な犬であるので、綿貫の中にある無防備なまでの率直さ、柔軟さを直感で嗅ぎ取ったのだろう。

実際、綿貫は大した人物だと思う。
諸々の不思議を不思議のまま、「そんなものか」と素直に受け容れる。
そしてそのような柔軟さを保ちながらも、安逸とした生活への心惹かれるいざないを良しとせず
「こういう生活は、わたしの精神を養わない」
と言い切る凛とした潔さも同時に持っている。
確かに彼は立派に「家守」なのだ。

精神の高みを目指しつつも、 少欲知足の生活を守る。
欲しいものは何でも望めば簡単に手に入る、便利な生活に慣れた今の私たち日本人が
少し昔に置いてきてしまった"慎ましさ"に、ここで出会う。

すっと喉を過ぎ、いつのまにか身体中に染み渡る
清浄な水のような、そんなしずかな文章に心満たされた。
そのすべてに圧倒されつつ、身を任せるのがこの物語を読む幸せ。

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エンジェル・エンジェル・エンジェル

エンジェル・エンジェル・エンジェル (新潮文庫)エンジェル・エンジェル・エンジェル (新潮文庫)
(2004/02)
梨木 香歩

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こんなCMを見たことがある。

お母さんが自分の若い頃の写真を持ってきて
「ほら、これお母さん。昔はこんなに細かったのよ~」
とドヤ顔で我が子に自慢する。
すると子どもはこう吐き捨てるのだ。
「え?お母さんて若い頃あったん?」
それを聞いたお母さん大ショック、みたいな。

そう、もちろん誰にだって若かった頃はある。
シワシワのお婆ちゃんだってある日突然しわくちゃになったわけではなく、ほやほやした赤ん坊の頃がちゃんとあったし、花も恥じらう娘盛りだってあったのだ。
私だって昔から今みたいなヒデヨシ@アタゴオル体型じゃなく、若い頃は…げふんげふん。いやそれはどうでもいい。

家の物置から持ち出した古いサイドテーブルと熱帯魚の水槽から出るモーター音が、ばあちゃんを遠い昔に引き戻す。
ある日突然、自分を「さわちゃんって呼んで」と少女のような顔で孫に告げる。
それは、医学的に見れば単なる痴呆の症状であったかもしれない。

けれど。

思えば私は生まれてからこれまで、色んな場所に想いを残してきた。
母と夢中になってヨモギを摘んだ田舎の畦道。楽しくて楽しくて、帰りたくないもっと遊んでいたいと思ったあの場所。
高校1年の頃、父親の転勤で遠く離れた場所に引っ越すことになり、当時の親友と泣きながら別れたフェリー乗り場。
大好きで夢中になったロックバンドの解散ライブ会場。
もう会えないのなら、ここで死んでもいいと思った。

思い出の場所には、当時の自分が、その頃の姿のまま、今も佇んでいる気がしてならない。

コウちゃんの引っ張り出してきた古いサイドテーブルには、ばあちゃんの強い強い想いが残っていた。
そこに留まっていた想いが、ばあちゃんの魂を、遠い過去に引き戻したのではないかと私は思う。

過去の思い出は、美しいものばかりではない。
あの時ああすればこうしていれば…。
そんな悔恨の念にかられるばかりの思い出も、きっとだれにでもあるだろう。

ばあちゃんは、赦されたかった。謝りたかった。
過去の自分の過ちを。
それがきっと今生の最後の悔いだったのだろう。
天使のようだと言われたばあちゃんは、けれど自分は悪魔に魂を捧げてしまったのだと長いこと苦しんでいた。

間違わない存在などない、と私は思う。
人であれ何であれ。みんな生きるのは初めてで、一瞬先には経験がないから一歩一歩手探りで進むしかない。
だから間違う。傷つく。傷つけてしまう。

誰もが誰かを赦したいと思っている。
そして赦されたいと願っている。

人も動物も、恐れ多くも神様さえも、過ちを赦されたいと希っているのではないかと

読み終えて、はらはらとこぼれ落ちる涙をぬぐうこともなく、ぼんやりと母の写真を眺めていた。


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さよならドビュッシー

さよならドビュッシー (宝島社文庫)さよならドビュッシー (宝島社文庫)
(2011/01/12)
中山 七里

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行間から、
ピアノの音が確かに聞こえた。

ピアノは、小さい頃から今に至るまで、私にとってずっと憧れの楽器である。
小学生の頃、ピアノが弾きたくて弾きたくて、でも貧乏だった我が家ではピアノを習うなんてそんな贅沢が許されるわけもなく、私は、近所からいただいた中古のオルガンをブーカブーカ鳴らしてピアノを弾いているつもりになって悦に入っていた。
今の私は知っている。ピアノという楽器は、もちろんそんな生易しいものでは、ない。

解説者は"スポ根"と評していた。
確かに、火事で大火傷を負い、ほとんどの皮膚を移植するはめに陥った主人公が、最終的にピアノコンクールに出場するに至る過程は、実に過酷なものだ。
しかしそこには、単なるスポ根とは違う、きちんとした(かどうかピアノを習ったことのない私にはわからないが少なくともそう思わせるだけの)理論の裏づけがあり、"努力と根性"だけで何事かを成してしまうというような荒唐無稽なお話ではない。

そしてこの物語は、ミステリーでもあるのだ。
ミステリー読みなら、この程度のトリックには気付かなきゃ、と思う方も多いだろう。
だが私は気付かなかった。
あの犯人のことは、もちろんわかった。で、ミステリーとしては凡庸だなと思っていた。
ところが、なのである。
気を付けて読んでいれば、ところどころのエピソードに違和感を覚えて当然なのに。
うっかり、ピアノのほうにばかり気を取られていて、見事に作者の策略に嵌ってしまった。
今から思えば…そうだよね、おかしいよね。なんで気付かなかったのか。うーん悔しい。

でもそこに気付くと、物語はまた違う輝きを放ち始める。
主人公の、そこに至るまでの想い、葛藤、苦しみ、そんなものが一体となったクライマックスは圧巻だった。
主人公が目指していた、聴衆に、風景を見せることの出来る演奏が見事に再現されていた。
確かに私にはその時ドビュッシーのアラベスクが聞こえたのだ。

ただ、なんだろう。登場人物には、ミスリードとは違う違和感のある人物が多かった。
お祖父ちゃんにしてもみち子さんにしても、全部、台本をしゃべっているような作り物感が満載なのだ。
特にみち子さんは、それまで全くと言っていいほど人物描写がなく、イメージが固まっていないところにいきなり滔々と方言で語り出すので、「この人どうしちゃったんだろう?」とビックリしてしまった。
そりゃ、作者にはちゃんとしたイメージがあってのことだろうが、読み手にはきちんとそれを文章で提示していただかないと、伝わらないし、違和感が募るだけで感情移入ができなくなるよ。

それと、もうひとつ。
「車椅子に乗ってる人がくると、みんな一斉に道をあけ、見て見ぬふりをする。」
というくだりがあり、それは確かにそうなんだろうけど、その理由として
「みんな関わりたくないんだ」
と切って捨てる。
けれどそうだろうか。
中にはもちろんそういう人もいるだろう。けれど、みんながみんなそんなんじゃない。
「儀礼的無関心」という言葉がある。
電車の中で泣いている人を見かけたとき、どうしたんだろうと気になりつつも必要以上にそちらを見ず、気付いていないふりをする、というのはみんなごく普通にやっていることだろう。それはある種の思いやりである。
明らかに相手が困っていれば手を差し伸べる。邪魔だろうから道もあける。けれどもそれ以上はお節介になる可能性があるし、ジロジロ見るのは明らかに失礼だろう。だから見ない。
でもそれは決して「関わり合いになりたくない」からではない。私はそれは一般的な思いやりなのだろうと理解している。
なので、この部分については、私は大いに異議を申し立てたい。

…すこし熱くなり過ぎた。
クールダウンクールダウン。

タイトルの「さよなら」の意味は最後に明かされる。
けれど、それは決して悲しいだけの言葉ではなく、希望に満ちた未来への約束の言葉でもあった。
涙が一筋こぼれ、読後もずっと心の中にドビュッシーが鳴り響く。

このシリーズを、もっと読みたいと思った。

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Author:道楽猫
日々子育てに仕事に大忙し。
でも家事は忘れても(・_・)読書は忘れない。
そんな道楽猫が、日々の暮らしの隙間をぬって読んできた本の感想を留めたくて開設したブログです。

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