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すベてがFになる

すベてがFになる (講談社文庫)すベてがFになる (講談社文庫)
(1998/12/11)
森 博嗣

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「どこにいるのかは問題ではありません。会いたいか、会いたくないか、それが距離を決めるのよ」 真賀田四季

ミステリーといえば、大衆文学。
そして、森博嗣といえば「理系ミステリー」とよく言われる。
けれど、私はこの人の書くものをそんな風に捉えたことはない。そんな枠では到底納まりきらない。
ミステリーとしてのクオリティの高さと十分なエンターティメント性を保ちつつも、その紡がれる言葉の数々には、最早純文学の香りすら漂っているのだ。

「天才だ。まさに、天才」

犀川先生は真賀田四季をそう評するのだが、私からすれば森博嗣こそがその名にふさわしい。

実は私はその昔、汎用コンピュータのプログラマーを2年、SEを5年ほどやっていた。
なので、冒頭の真賀田四季と萌絵の会話
「私だけが、7なのよ・・・。それに、BとDもそうね」
で、すぐに「F」の意味はピンときた。まぁ、だからと言ってそれが傷になるわけもなく、何がどう「Fになる」のかは全くわからなかったわけなのだが。
そういう個人的なこともあって、細かいことを言えば、トリックの部分では、疑問に感じる部分がないでもない。
ファイルの上書きの件だとか、たとえソフトが完璧でも、ハード面でそう何年もトラブルを起こさずOSを動かせるものだろうか、とか。
けれど、そういった疑問など全く問題にならないほど、奇想天外なトリックに酔わされる。
密室にはプラスもマイナスも存在しないはず、という常識を覆す驚愕のトリック。
そう、森博嗣は常に我々に「常識とは」を突きつける。
そして、思い込みを覆されるたびになんだかひとつ賢くなった気がするのだ。
それは錯覚だよ…という突っ込みがあちこちから聞こえる。うん錯覚。でも"思考"においては確実に成長することが出来ていると思うのだ。

ところで、天才とは一体どういう人のことを言うのだろう。
萌絵は、その驚異的な計算速度から、一見天才であるかのように思えるが、決して天才とは言えない。
彼女は様々な可能性を計算して積み上げて推理するタイプ。なので自ずと限界がある。
ところが、四季博士や最川先生は思考の跳躍が出来る。所謂「1を聞いて10を知る」タイプ。
なんだか真賀田四季博士ぐらいになれば、その脳の構造は高次元に至るんじゃないかとさえ思える。
複数の人格を備えているというあたりも、そこらへんが原因だろうか。
単一の人格では決して納まりきらないのだろう。
犀川先生もまた、多重人格者である自分を意識しているが、彼の場合、四季のそれとはどうも意味合いが違っているような気がする。犀川先生の場合は、自分を守る鎧としての人格であり、別人格に固有の名前はないのだが、四季博士の場合はそうではない。

そして、その超絶天才の言う

"生きていること自体がエラーで、死んでいることが正常な状態"

という考え方に沿えば、様々な「?」もぼんやりとながら理解することが出来る。
理解は出来ても決して賛同は出来ないわけなのだが。

うーん、色々語りたいのだが、そうするとどうしてもネタバレになってしまいそうで悩ましい。
それにしても、S&Mシリーズは、登場人物たちのなんと魅力的なことか。
目からウロコなお言葉で、私の常識をさらりと覆してくれる犀川先生や、これもまた、世の常識が通じない世界に住んでいるぶっとんだお嬢様の萌絵、「F」では男のようにしか見えないけれどそのうち意外な素顔の覗ける国枝桃子などなど、どの人物も本当に味わい深く面白い。
そして、初読時にはどうしてもなじめず好きになれなかった真賀田四季博士までもが、何度も読むうちに本当に愛おしくなってくるのだから不思議だ。

"7は孤独な数字。私だけが7"

真賀田四季の、本当の孤独の意味を理解できる人間は、この世に存在するのだろうか。

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ぐるぐる猿と歌う鳥

ぐるぐる猿と歌う鳥 (講談社ノベルス)ぐるぐる猿と歌う鳥 (講談社ノベルス)
(2010/05/07)
加納 朋子

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相変わらず爽やかで優しくて、でも内容はしっかりずっしり重くて、最後まで安心して読める、とても加納作品らしいお話。
後味が良いのはやっぱりいいですね。

登場人物はほとんどが子どもで、皆それぞれに何かを抱えています。
大人の思惑やらどうしようもない波に翻弄されつつ、それでも元気に明るく生きている。

子どもは、本来、社会の中ではとても立場が弱い。
どんなに泣こうが喚こうが、ダメだと言われれば諦めなければならないし、理不尽な仕打ちにも耐えねばならない。
いいとか悪いとかではなく、子どもというのは、そもそもがそういう存在なのです。
もちろん、子どもは社会の宝です。だけど、吹けば飛ぶほど軽いものでもある。
で、私は、ある意味でそうあるべきだと思っています。
現代日本のような"お子様"至上主義は、社会としては歪んでいるのではないかと。
別に大人にならなくても何でも手に入り、大人のような責任を負わなくてもいいとなれば、みんな子どもがいいに決まっています。
そんな大人になりたがらない子どもが溢れている社会というのは、果たして健全と言えるのか…。
大人と子どもの世界は本来明確に分かれているべきもので、そうだからこそ、子どもは力をためて羽ばたこうとするのです。身勝手な大人を蹴散らすため、自らも早く大人になりたいと熱望するのです。

この物語には、そういう前向きな力を持っている子どもたちがたくさん出てきます。
大人たちに振り回されつつも、自分たちだけのとてもとても大切で重い秘密を共有している。
パックのような子の存在は、有り得ないことのように思えるけれども、形こそ違え、実際たくさんあるのではないかと思います。ちょっと「誰も知らない」という映画を彷彿とさせられました。
でも、やっぱり、これは大人目線のお話でもあるなぁ、とは思ったかな。
最後の「猿から鳥へ」の手紙は、あまり子ども目線とは言えなかったもの。

それはさておき。

加納作品らしく、作中には色んな小さな謎がたくさん出てきます。
それらを主人公たちと一緒に考えるのも楽しみのひとつ。
序盤から提示されている最も大きな謎については、もちろん最後に種明かしがあるわけですが、この物語では、敢えて私はその謎を解こうとせず、作者の術中に自ら飛び込みました。作者の語る言葉に身をゆだね、その優しさにどっぷりと浸かりたかったのです。謎を暴いてやろうと構えるのは、加納作品に限っては、とても無粋なことだと私は思います。

それと、全編通じて「~っちゃ」「~けぇ」っていう方言がとてもいい味を出してます。
東京から来た主人公が「ちゃちゃちゃちゃうるせー」とか言うのもとってもおかしい。
標準語だと、この物語、ここまで輝かない気がします。

お終いまで読んで、

「ああ、やっぱり加納さん大好きだ」

と叫んでしまった私なのでした。

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さよならバースディ

さよならバースディ (集英社文庫)さよならバースディ (集英社文庫)
(2008/05/20)
荻原 浩

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バースディというのは、ボノボという種類の、一匹の猿に付けられた名前。
東京霊長類研究センターでは、彼に人語を教え、言葉によるコミュニケーションを試みる「バースディ・プロジェクト」が実施されていた。
ところが、このプロジェクトの初代代表が突然自殺し、後を任されることになった主人公の恋人もまた、主人公からプロポーズをされた当日の夜に、バースディが見ている目の前で、センターの5階の窓から落ちて死んでしまうのだ。
結局彼女の死もまた、自殺という判断が下されるわけだが、それに納得がいかない主人公は、僅か100語に満たない言葉しか習得していないバースディに、事件の夜のことを聞きだすべく孤軍奮闘する。
そんな頃、主人公の元に、死んだ恋人から一枚のDVDが送られてくる。
そこには死んだ恋人からの、とあるメッセージが隠されていた。やがて、唯一の目撃者バースディにより明かされる悲しい真実とは。
そして、所長からプロジェクトの終焉を告げられた主人公とバースディの行く末は如何に。

動物実験について語るには私には知識が足りないしどうしても偽善的になってしまいそうなので、バースディプロジェクトの是非については特に触れない。

しかし、この物語、主人公とその恋人があまりにも誠実さに欠け、その点に於いて実に腹立たしい。
バースディの行く末を案じ、彼を生まれ故郷(いや、彼は日本で生まれているので、母親の故郷ってことかな)に帰そうとした人物を毛嫌いしていたくせに、いざどうしようもなくなったら、手のひらを返すように彼にすり寄り、「実はずっとアンタのこと好きだったんだぜ」みたいに豹変する主人公。
生きているうちに何も行動を起こさず、死んだ後にとんでもない形で真実を告げる恋人の由紀。その死に加担させられたバースディの胸中を思うと胸塞がれる思いがする。
所詮猿には人間のような細やかな感情がないと思っているからあんな酷いマネができたんだろうね。
彼女の行動には決定的に思いやりというものが欠けていて、読んでいて怒りを禁じ得ない。何が、どこが純粋なんだか。

そんなこんなで、物語中で悪役として描かれる人物のほうがよほど首尾一貫しているという始末。
なんだかなぁ。

ただ、バースディの言語習得能力に隠されたトリックは面白かった。
面白かっただけに、いっそうバースディが哀れでならないわけなのだが。
感情を込めず、淡々と筋だけを追うのなら、とても面白いお話だと思う。

私には、とても出来ない芸当だが。


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てのひらの中の宇宙

てのひらの中の宇宙てのひらの中の宇宙
(2006/09)
川端 裕人

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だれでもそうだと思うが、小さい頃、私は死が怖かった。
母親が死ぬ夢を見ては飛び起き、傍らにちゃんと母が眠っているのを確認してほっとしていた。
身内が死ぬなんてこと、考えられもしなかった。

けれど5年前、その母の死が現実となった。
父が死に、その僅か1ヶ月後に母も見送ることとなった。

いのちは、どこから来て、どこへ還ってゆくのだろう。

小さな頃からの疑問は、未だ謎のまま。
たぶん自分が死んでも、それを理解することはないのだろう。
だって死は万物に平等に訪れるけれども、自ら感じ取れるものではなく、客観的にしか捉えられるものではないのだから。

子宮体癌の再発のため入院している妻。母親を失うかもしれない5歳と3歳の子どもたちに、父はこの世界の生と死を、どう教えてゆくのか。

青少年読書感想文コンクールの課題図書として選定されていた本書は、息子の夏休みの宿題のため、ずいぶん前に買ってあった。
しかし、身内の死を前面に出している物語が苦手で、なんとなく私自身は手に取らないままになっていた。

身内の死を扱う小説は、どことなくあざといものが多い。死を殊更に美化していたり、それで涙を誘うことが目的であったり。
けれど、実際読むと、本書にはそういった部分がまったくなかった。
そして、あまりの面白さに何故もっと早く読まなかったのだろうと後悔した。

主人公の5歳の息子ミライは、「なぜ?どうして?」真っ盛りな年頃。
理系の父親は、そんな息子の素朴な疑問に、真っ直ぐに向き合う。
そうして、宇宙について生について死について、淡々と、かつわかりやすく息子に語るのだ。

思えば、私も「なぜ?どうして?」少女だった。
物心ついた頃はテレビが映るのがふしぎでふしぎで仕方なく、何度もその原理を母親に問うては「どうしてだろうね」の返事にがっかりしたり、「底なし沼」のことを考えて怖くなってしまったり(本当に底がないのだと思っていた。)もう少し大きくなると、無限とはなんだろうとか宇宙の果てとは?とか、だいたいがぼーっとした子だったので、それはそれは色々と考えていた。
ミライはいいなぁ。「なぜ?」にきちんと答えてくれる存在がいて。
あの頃は、ひとつ物事を知るたびに目の前がぱっと開けて世界が広がるんだよね。
私もこんなとーちゃんが欲しかった。

そして、息子に語りながら、父親自身も様々なことに気付いてゆく。
すべてのものは原子で出来ている、その一番小さいものは素粒子で、と言いつつ

つぶつぶより雲のほうがいいな。境界がはっきりしないほうがいい。

なんて考えていたりする。
そして、すべての生き物は「好き」で繋がっている、と説明をする。
この父ちゃんも結構な夢想家なのだ。
やがて、息子と娘に夜毎語っていた空想の物語を童話として執筆するに至る。
この物語がまたいい。
「人間を背中に乗っけたまま眠っていたカメが目を覚まし、宇宙の果てを目指して旅をする」
てなお話。実際面白い童話になりそう。是非こちらも本当に書いて出版してほしいものだ。

お終いまで読んでも、この物語には劇的なクライマックスなど存在しない。
けれどそこかしこに散りばめられた、きらきらと輝く珠玉の言葉たちは、読み終えて何日も経過してしまった今でも、しずかに心に沈んでいる。
そして、アスカちゃんが「アンモナイト」のダンスを笑いながら踊っている光景がほっこりと浮かぶのだ。
(2~3歳の頃の子ってほんとよく踊るのよね)

それにしても、人ってすごい。
宇宙ほどの大きさのものでも、想像の世界では自分のてのひらに乗っけることさえ出来てしまうんだものね。

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向日葵の咲かない夏

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)
(2008/07/29)
道尾 秀介

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だ、騙された……。
向日葵というタイトルに騙された。
向日葵には、真夏に凛と上を向いて咲く、元気な花というイメージがあるのだもの。
よもやこんなダークでホラーなお話だとは。
そう思って改めて見返せば「咲かない」なのだよね。そうか、咲かないのか(しょんぼり)。
しかしよくよく考えれば、向日葵って結構怖いかも。特にあのデカイほう。
あれも何かの生まれ変わりなのかもね。たとえば、日の目を見たかと思えばすぐに死んじゃった生き物とか。

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ(前田夕暮)

どっしりじゃなくゆら~りだもんね、結構ホラーだよ。
という主旨の感想を、この短歌について書いたら、「それは間違っている」と国語教師にさくっと斬って棄てられたなぁ。ああ、遠き高校生時代。

それはともかく。
冒頭からして、相当怖いのだこれ。
夏休み前の終業式の日。学校を休んだS君の家に、担任に頼まれ、学校から配布されたプリントを持って行ったミチオ。しかしそこでミチオはS君の首吊り死体を見つけてしまう。S君の遺体は、庭に咲く向日葵を凝視しながらぎぃぎぃと揺れている…。
ところがそのことを知らせに学校に戻っているあいだに、何故かS君の遺体は忽然と消えてしまう。

人は死んだら7日ごとに転生の機会が訪れるという。ちょうど7日目、死んだはずのS君が、なんとクモとなってミチオの前に現れる。
そしてクモの姿のS君は、ミチオに「僕は自殺ではなく殺された」のだと告げる。

ひぃぃぃぃぃぃぃ。

私はホラーが全く以ってダメなのだ。
この時点でもう、この本を手に取ったことを悔やんだ。ムンクの叫び状態だった。
だけど続きが気になる。S君を殺したのは果たして誰なのか。そして自殺に見せかけたのならどうして遺体を隠したのか。
同時期に近隣で繰り返されていた犬猫の不審死とのつながりは?何故死んだ動物は一様に足を折られ口に石鹸を詰め込まれていたのか。

この物語では、自分を守るため、だれもが嘘をついている。
ひとつの嘘が暴かれても、また次の嘘が重ねられ、様々な糸が絡み合って、ミチオじゃないが、どんどん何がなんだかわからなくなってくる。
いったい真相はどこにあるのか。
通勤電車の中で読み始めたものの、気になって気になって仕事が手につかないほど。その夜一晩で一気に読んでしまった。

やがて明かされる真相。すべての事柄がひとつに繋がる。
ああそうだったのか。
3歳の妹に感じた違和感の正体も、壊れた母親の真実も、あれもこれも。
これは本当に見事な叙述トリックだった。
あれ?…ということは、もしかしてスミダさんも?
いやいやミチオ自体、既に狂気の中に立っているのだろう。

「誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか」

ミチオの言葉にいきなり頭をがつんと殴られた気がした。
そう、だれだってみんな自分に都合の良いストーリーを組み立て、ある意味自分だけのファンタジーの世界を生きている。
嘘をつかない人間などいないのだ。
できるだけ傷つかないように、壊れてしまわないように、自分を守って生きている。

怖いけれど、切ない。
胸がきゅっと苦しくなるそんなお話。後味は決してよくないけれど、心の中にずしっと残る重さがあった。

ただ一点。これは私自身が今現在「母親」という身であるからこその違和感。
ミチオの母親が壊れてしまったのは、理解できる。
しかし、怒りの矛先がむかうのは、決してそこじゃないはず。

母親なら、ああはならない。

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キケン

キケンキケン
(2010/01/21)
有川 浩

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最近この人の本ばっかりだなと自分でも思うのだけど、それは単にムスメが図書室で借りてくるから読ませてもらっているだけであって、別に私が有川浩が特別好きだからとかそういうわけではない。
同時に、今流行りの西尾維新も借りてきてくれたけれど、これはダメだった。
まったくもって受け付けない。何ページ読んでも兄と妹の不毛な会話が延々と続くばかりでお話がちっとも進まない。
もう少しガマンすれば何か面白い展開があったのかもしれないけど、そこまでの根性は私にはなかった。
私はキャラ萌えの得意なオタク属性の人ではないので、こういう、作者がキャラに頼ってファンに甘えたような小説は大嫌いなのだ。
まるで同人誌の二次小説を読まされているようで苦痛以外のナニモノでもなかった。ああだるい。

話が大幅に逸れました。

本題に戻します。

「キケン」…それは「成南電気工科大学機械制御研究部」の略。
そして、その名に違わずキケンなニオイのぷんぷんする面々が繰り広げる工学系男子の青春群像劇。

…を書きたかったようです、作者は。


それはともかく。

大学って面白そうだよなぁ。

実は私は大学ってところを知らない。
高校生当時がちがちにド真面目で、ある意味非常にとんがっていた私は、周囲が「もっと遊びたい」と公言して憚らず、「どこでもいいから入れる大学を」と血眼になっているのをナナメに見て、そんな友人たちを内心小ばかにしていた。
どうしても学びたい何かがあるわけでもないのに、ビンボーだった我が家にそれ以上の負担を強いるのもイヤだったし、私はそれより手っ取り早く自分のものになるお金が欲しかった。ので迷わず就職の道を選んだのだ。
高卒が今ほどハンデにならない、古き良き時代ではあった。

けど今にして時々ぼんやりと思うのだ。

ああ、大学行ってみたかったなぁ。遊びだとかモラトリアムだとか、私はバカにしていたけど、どれもほんとはムダじゃなく、キラキラと輝いて、やがてその人の血肉になってゆくんだろうなぁ、なんて。

もちろん、今からだって大学に行くことはできる。
だけど、全ての物事には間違いなく"旬"があるのだ。
"旬"には躍動があり力があり、その時にしか味わえない何かがある。
どんなにあがいても、私にはもう手に入れられない刹那の輝き。

だからこういう大学生活を描いた小説は基本的に好き。
ふだんあまり意識していなかったけど、私は小説を読むことでそういう気分を疑似体験をしているのだろうと思う。

だけど、この本はなーんか違うんだなぁ。
むさくるしさとか暑苦しさがあんまり感じられない。
女性が書いた"つくりもの"の工学系男子という感じ。
だって、現役大学生男子が自分たちを指して「男の子」なんて言うだろうか。
今の草食系なら言うかもだけど、むさくるしさを醸し出したいなら絶対に「男たるもの」「男子たるもの」だろう。
で、私も工学系男子を身近に知っているけども、もっと「マニアックでオタク」だ。
"機械類に関してのみ"実にちみちみとこまっかい、はたから見れば実にどーでもいいことにこだわる。
その、機械オタクらしいこだわりがあんまりなくて残念。
その割にラーメンにはやたらとこだわりを見せ、細かい手順だとか試行錯誤ぶりを熱く語ったり。
なぁぁぁんか、方向性間違ってねぇ?
という強い違和感があった。
何より、「ユナボマー」が活躍してないし!
「爆弾好き」というのはいったいなんのための設定だったのやら。
ロボット相撲にしたって、あの結末はイカンよ。
ルールの穴をつくとか、なんて卑怯くさい。ケツの穴ちっちゃ過ぎでなんか読んでてしょぼんとしてしまったよ。
「爆発炎上は男のロマンだぞ」
なんて言うならもっと奇想天外にはじけてくれよ。
ボールペン銃のエピソードも結局「俺たちこう見えて良識あるんだぜ」で終わりってアンタ…。
不発過ぎだから……。

結局「このヒトこーゆーキャラなんですよ」というキャラ紹介と「キケン」部はこういう部なんですよという説明のためのエピソード集で終わっちゃった感じがする。
エンディングもお約束過ぎで、作者の「どや顔」が見えるような展開に、私はただただ白けるばかり。

またもや最後まで、何のニオイも感じられないまま。
圧倒的な現実感のなさに私は一人置いていかれてしまい立ち尽くすしかなかった。


相変わらず我ながら毒舌だなぁ。
決して嫌いなタイプのお話じゃないんだ。だからこそ、ここまでの筆力のある作者だからこそ、残念だと思ってしまうのだ。
有川さんにはほんっと
「すまないと思っている」(「24」のジャック・バウアー風に)

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硝子のハンマー

硝子のハンマー (角川文庫 き 28-2)硝子のハンマー (角川文庫 き 28-2)
(2007/10)
貴志 祐介

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貴志祐介初の本格ミステリーなんだそうな。

探偵役の、自称「防犯コンサルタント」榎本(本業は泥棒?)と、女性弁護士の青砥コンビが、不可能犯罪の謎に挑む。

巧妙に張られた様々な伏線が読む者の目をくらませる。
なるほど前半は本格の名にふさわしい面白さ。これでもかと次々に捻り出す推理を、
「おおっこれぞ真相か」
と膝を打ちかけたところで、探偵自ら打ち消してゆく。前半はその繰り返し。
後に残るのは、いよいよ鉄壁に見える密室の謎。
二転三転四転五転…の推理の後に、果たしてどんな結末が待っているのか。

…とわくわくしかけたところで、一転して物語は倒叙形式へと変貌する。
つまり、犯人の手記のような形をとった解答編へと突入するわけだ。
ここからは、ミステリーではなく「サスペンス」。
さながら同じ作者の「青の炎」を思わせる展開となってゆく。

これは…
評価がはっきりと分かれるだろう。
"本格"を目指すのであれば、倒叙の後半は、イマイチなじまない。
個人的には、前半の流れで最後まで突っ走ってほしかったとは思う。
けれど、そうするとやはり動機の点で厳しかったのだろうな。
うーん、でも、いくら考えても、「何も殺すこたぁなかろうに」と思ってしまうのだな、私は。
その意味で、「青の炎」ほどには感情移入ができなかった。
犯人に同情はしたけれども。

結局、完全犯罪なんてムリなんだよ、と作者は言いたいのか。
それとも殺人は何があってもダメなんだってことが言いたかったのか。
いやいやむしろ、防犯意識をしっかりもちましょうってことが主題?(それは違う)

いずれにしろ、「黒い家」の時も感じたことだけれど、貴志祐介はちょっと登場人物に語らせすぎるきらいがあるよなぁ。
私はあまりそういうストレートな"語り"は好まない。なんだか美しくないのだ。
物語、なんだから、ストーリーで語ってくれ。

総括すると、
これは決して「本格ミステリー」…ではない気がするなぁ私は。
面白くなかったわけでもないのだけど。
別にこれをシリーズ化してほしいとかは思わなかったし、やや小粒。

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Author:道楽猫
日々子育てに仕事に大忙し。
でも家事は忘れても(・_・)読書は忘れない。
そんな道楽猫が、日々の暮らしの隙間をぬって読んできた本の感想を留めたくて開設したブログです。

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