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完全なる首長竜の日

完全なる首長竜の日 (宝島社文庫)完全なる首長竜の日 (宝島社文庫)
(2012/01/13)
乾 緑郎

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第9回このミス大賞受賞作。しかも選考委員が満場一致で決定したという鳴り物入りな作品だけに、大いに期待して手に取った。

結論から言えば、少々期待ハズレ。
私は、所謂ふつーの「ミステリー」を読みたかったのだ。「このミス大賞」だと言うのに、これはちょっと私の考えていた「ミステリー」とは種類が違い過ぎた。
それでも、物語自体が面白ければ、まったく問題はなかったのだが。

作者は文章力のとても高い方だと思う。
その筆力に誘われ、ごく自然に、「ドボン」と言うよりは「とぷん」という感じであっさりと物語の世界に入り込むことができる。
作中で何度も何度もリフレインされる「赤い紐の括りつけられた竹竿」「南の島の猫家の光景」「サリンジャーのバナナフィッシュ」。
そう言った諸々のメタファーが非常に上手く物語中に配置され、読む者をどんどんストーリーに引き込んでゆく。
それで、読んでいる途中は、「これは傑作になるに違いない」という手応え、ラストに向かっての高揚感を覚えていたのだ。
実際、終わり近くまではとても面白く読んだ。

けれども。読み終えて

「さて、どうだった?」

と改めて問われると、うーん…と首を捻ってしまう。
これだけヒントをばら撒いているということは、読者をびっくりさせるという意図は初めから作者にはなかったろうし、そもそも作者はミステリーを書きたかったわけではない気がする。
まぁ、そのへんは作者に聞いてみなけりゃわからないけれど。
残念なことに、その筆力の高さ故に、結局「表現の巧みさ」しか心に残っていないのだ。
こういうのを「面白かった」と言い切ってしまうことには、私には少々抵抗がある。
「このミス」選考委員の方達は、本当にこれを読んで面白いと思ったのだろうか…。

ただ、この作者の、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」の解釈は、目からウロコだった。
そうか、そういうことだったのかも!と、あたかも難しい数学の問題が解けたときのようにすっきりして嬉しかった。
だからもしかすると、サリンジャーを面白く読める人なら、このお話も面白いと感じるかもしれない。
まぁ、それと重ね合わせると、ラストが余計に陳腐に思えてげんなりするんだけど。

ここにいる自分は本当に存在しているのか。
どこまでが現実でどこからが脳の創り出す幻か。
境界があやふやになるというのは、とても不安で落ち着かない。
こういうテーマは非常に興味深くはあるけれど、読中ずっと、足元が定まらない不安定さがつきまとって、窒息しそうで苦しかった。

作中で、主人公の弟が語る「人の死」の定義は納得できるものであった。
人々の心の中からその人の記憶が消えてしまったとき、初めて人は"死"を迎えるのだという。
確かに、人は「死」そのものが怖いのではなく、"存在の消滅"こそが恐怖の正体なのかもしれない。
自分を覚えている人が皆死に絶えて、自分についての記憶の欠片が完全に消えたとき初めて、私は本当の死を迎えるのだろう。
逆に言えば、誰かが覚えている限り、人は死ぬことはない。


ゆっくりと遠ざかってゆく首長竜の後姿。
鮮やかな南国の赤い花の群れ、女郎蜘蛛の巣。
抜けるような青い空の下、遠浅の浜に突き刺さる1本の竹竿。その先には赤い布が巻きつけてある。
ここは危険。
この先は危険。

面白くなかったのなんのと言いつつも、目を瞑れば、今でもそんな光景が瞼の裏にまざまざと浮かぶ。
やはり作者のこの筆力は只者ではない。
別の作品で是非リベンジしたい。

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↑猫家は「みゃんか」と読むのだそうな。みゃんかー ヾ(≧∇≦)ノ゛
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鉄鼠の檻

鉄鼠の檻 (講談社ノベルス)鉄鼠の檻 (講談社ノベルス)
(1996/01/05)
京極 夏彦

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坊主が…

坊主が多すぎるのですよ。榎木津のセリフじゃないが。

実は私、抹香臭いのが大のニガテ。
禅寺が舞台だなんて、知らなかったんだよ。そういうことは先に言ってくれよ。
わかってたら読まなんだ(お坊様風)。
…てなわけもなく、京極堂シリーズだというだけで、どうしたってキミ、いずれ読むことにはなるんだがね(京極堂風)。

そんなわけで、元々ページ数が半端ないことも加わって、まぁ読了するのに大変時間がかかってしまった。
「私はいつこの檻から抜け出せるのだろう…」
と、正直ちょっとウンザリしちゃったほど。
禅に関する京極堂の薀蓄は相変わらず面白く、目からウロコなことがてんこ盛りではあったのだけど、清涼とは言いがたい陰鬱な空気の世界に囚われたまま長く過ごしていると、気分まで鬱々としてしまったのですよ。

けれど、そのような世界にあっても、榎木津は何ら影響されない。独立独歩唯我独尊。
今回は、本当に榎さんの突き抜けた奔放な性格に救われました。
いや
マジで今回の榎木津は凄かった。
京極堂の十八番の『憑き物落とし』をたったのひと言でやっちゃったよこの人。
当に一刀両断とはこのことか。
後々結局不幸な出来事に巻き込まれたあの人も、榎木津のひと言できっと救われたのだと思うな。『大悟』に至ったのだから、かの禅僧にとっては本望だったことでしょう。
榎木津さんは本当は良い人に違いないのです(今川風)。

人は皆、何かに囚われている、か。確かになぁ。
"開放されたいと望むからこそ自ら望んで檻に入る"んだよね。
この逆転の発想は実に面白い。

所詮、高僧と言われる者であってもただの人。
煩悩は絶ち切ろうとしても絶てるものではないのです。
にんげんだもの。
高尚な動機であろうと低俗であろうと、煩悩と嫉妬は人には欠かせないエネルギーなのだと私は思うな。
煩悩と嫉妬の薪を燃やして私は上を目指すのさ。

そんなこんなで。
読むのがしんどいーつらいーなどと文句をぶーぶー言っていたくせに、結局、読み終わったときには、私から何かの憑き物が剥がれ落ち、もっと良い新たな何かが身に付いている。
なんだかそんな気がしてしまうのです。
やー、京極堂シリーズって、やっぱりいいですよね。

だけど、私にとっての最大の収穫は、京極堂さんちの飼い猫の名前がわかったこと。
『柘榴』ですって!ざーくーろー!!(大喜び)
「欠伸をすると柘榴のような顔になる」からだそうだけど、柘榴ってなんだか存在自体がちょっと怪しいですよね。そういう名前をさらりと猫に付けてしまうところがまた京極堂らしい。

結局最後は妙にテンション高い萌え語りになってしまってすみません。

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Author:道楽猫
日々子育てに仕事に大忙し。
でも家事は忘れても(・_・)読書は忘れない。
そんな道楽猫が、日々の暮らしの隙間をぬって読んできた本の感想を留めたくて開設したブログです。

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