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ボトルネック

ボトルネック (新潮文庫)ボトルネック (新潮文庫)
(2009/09/29)
米澤 穂信

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うーん、不完全燃焼。
私は、物語はきちんと着地してほしいのだ。ハッピーエンドだろうとバッドエンドだろうと。
作者には作者なりの考えがあってのことなのだろうが、こういう曖昧さを残す終わり方は好きじゃない。

主人公は、若いうちに老成しちゃったような、人生を"あるがままに受け容れている"青年。
イヤになるほど暗い。
まぁ、物心ついた頃から両親が不仲でお互い浮気三昧、兄は交通事故で意識不明の果てに死亡、おまけに最愛の彼女さえも事故で失うなんていう不幸にみまわれれば、だれでも人生を諦観しちゃうだろうし、ネガティブ思考にも走るわな。そこは同情する。

で、彼女の弔いにやってきた東尋坊で、崖から落ちて辿り着いた先は、何故か自分の世界では生まれなかったはずの姉が生まれていて、自分は生まれなかったという設定の、パラレルワールドだったと。
そこでは、姉のおかげで(?)すべてがうまく行っている。両親は不仲を乗り越え今じゃラブラブ。彼女もピンピンしている。
主人公は気付く。というか思い込む。ああ、現実世界でのボトルネックは自分だったのだと。

…バカジャナイデスカ?

なんですべてがアナタのせいなわけ?
たかが世界の取るに足らないひとコマに過ぎない自分にどんだけの影響力が備わってると思ってんのよ。自意識過剰もいい加減にしやがれ。このスットコドッコイ(死語)!
と私は主人公を小一時間問い詰めたい。

両親の不仲を解決したという姉の逸話も、"たまたまうまくいった"だけ。姉の交通事故もたまたま。彼女のことに至っては、別に自殺したってわけじゃないんだから、絶対に主人公のせいじゃないし、これもたまたま。ていうか明らかに別人のせいでしょ?
(タマタマタマタマうるさくてすみません)

たぶん、別のパラレルワールドでは、姉のいる世界でもうまく行っていないところがあるんじゃないかと思うよ。
そして同じくらいの確率で、あなたがいようがいるまいが、起こったり起こらなかったりする出来事が積み重なって、世の中は良かったり悪かったりしているんだよ。

私自身がそういう自意識過剰な性格だったから、実は主人公の気持ちはよくわかる。
そんでもって、周囲にもこういうこと言う人ってよくいる。
「私が観戦すると、ひいきのサッカーチームは必ず負ける。だから観ない」とか
「私は雨女だから、私が外出すると雨が降る」とか

んなわけねーっつの!
みんな冷静になればおかしいとわかるはずのことなのに、何故かそんなオカルト思考に走ってしまう。
それはきっと

自分を中心に世界を見ている

から。
自分が、社会を構成する単なるひとつのコマであり、自分の影響力なんて取るに足らないものだと自覚すれば、こういうねがてぃぶな人たちももう少しぐらいはラクに人生を過ごせるのじゃなかろうか。
ただ、そういうラクな思考に自分を持っていくには、もう少しばかり年齢と経験値が必要になる。
私もずい分辛かったもの。

きっと、こういうお話って、思春期真っ只中の人には受けるんだと思う。
主人公と自分を重ね合わせ、そうだその通りだと思うんだろう。
だからこそ、だからこそね、それはアンタのせいじゃないんだよと言ってあげてほしかったんだな。
まぁ、アンタのせいもほんの少しはあるだろうけど、それをどう受け止めるかは相手次第だし、そこまで責任を一人でかぶって辛くなる必要なんてひとっつもないんだよ、と。

世の中ポジティブに生きていける人ばかりじゃなくて、言いたいことも言えなくて遠慮したりガマンしたりで損ばかりしている人も大勢いる。
でもそういう人たちもいなけりゃ世の中はもっと息苦しくなってしまうよ。
主人公は「流されてばかりで何もしなかった」と自分を嘆いているんだろうけど、そうでもないよと私は思う。
動かないことで流れがうまくいくことだってきっとある。

ボトルネックは、それはもちろん何にでもあるだろうけど、ネックがあるからこそ、うまく機能することも多いわけよ。

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あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから

あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだからあなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから
(2003/03)
ジュリア キャメロン

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改めてタイトルを眺めて気付きました。
「あなたも作家になれる」じゃなく「あなたも作家になろう」なのですね。
なるほど「なれる」だと途端にハウツー本のニオイが漂ってきますが、「なろう」だと何故かそうは感じません。
そして実際、この本は商業作家になるための本ではなく、心の声に耳を澄まし、頭に浮かぶ言葉をそのまま文字にすれば、書くことは決して特別なことではなく、そういう意味ではだれもが作家になれるのだ、ということをふんわりと優しく教えてくれる本なのです。

文章を書く時には、私もそうですが、だれでも少し気負いがあると思います。
巧く書きたいとか、文法的に間違っていないかとか、いつも気を配り目を光らせ、ムダに力が入ってしまっている気がします。

けれど、「書くことはもっとふつうのことだ」「思ったことをそのまま書けばいいのだ」「気持ちが乗らないときこそ書くべきだ」と、繰り返し繰り返し語りかけてくるこの本を読んでいるうち、

「昔、私はもっと楽しく普通に書いていた」

ことを思い出したのです。
文字を覚えたての頃は、チラシの裏にほとんど平仮名で壮大な夢物語を書いたりしてたし、学年末になると、中途半端に余ったノートに好きなことを色々書き散らしていました。
だけど、中学の頃、クラスメートに「そんなに書くことが好きなら作家になればいいのに」と言われ、ほんのちょっとその気になって(笑)いろいろ物語を書いてみて、その難しさに思い至ったのです。
「心の中で思っていることが上手く言葉にならない。」
そのひと言に尽きました。そうして、私は早々に「自分には才能がない」と物語を書くことについてはすっかり諦めてしまったのでした。

この本の中では、繰り返し「モーニングノート」を勧めています。
A4版ぐらいのノートを一冊用意して、毎朝3ページぐらいそこに好きなことを書く。
たとえば「職場のあいつがむかつく」とか「夕べ夫に酷いことを言われた」とか本当に思いつくまま、で良いそうです。(なんだか恨み言ノートになりそうな…)
そうやって書いていくことで、自分の本当の気持ち、書きたいこと、に気付くのだそうです。
それをしばらく続けていると、思い通りに書けるようになるそうですよ。

私もやってみようかなぁ、と思ったけれど、私のことだから文字より絵のほうが多くなりそうだなぁ。
昔から、教科書だとかノートだとかに落書きをしまくるタイプだったのです私。
ノート提出、と言われて焦りまくっていたなぁ。
でも、だれに見せるものでもないし、絵も描いていいよね。明日から早速やってみよう。

正直なところ、作家になるつもりもない私に、こんな本が役に立つのだろうか、と読む前は半信半疑でしたが、書くことに対して身構えたところがあった私に
「肩の力を抜いて、好きに書いていいんだよ」
と、単純でありながら、とても大切なことを教えてくれたこの本に、今は感謝しています。

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告白

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)
(2010/04/08)
湊 かなえ

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非常に抑えた静かな筆致の中に、作者の怒りを確かに感じた。
感じ取ることができた私もまた、同じ怒りの中にいる。
そういう意味で、ずい分話題からは乗り遅れてしまったが、私にとってはタイムリーな作品。

世の中では、毎日様々な事件が起こっている。
ビックリするような大事件から、微笑ましいものまで、新聞の三面記事を斜めに読むだけでも相当の時間を要するほどである。
けれども、そのどれもが、大多数の人間にとっては、自分とは直接関わりのない事件だろう。
言わば、俯瞰しながら冷静に見られるはずの立場である。
にも関わらず、多くの人間が、"だれもが認める残忍な事件に限って"そこに無理矢理割り込み、あたかも当事者のごとく参加したがるのは何故だろう。

このところワイドショーを騒がせていたのは、クラスメートのいじめによる、ある中学生の自殺事件。
私も、子どもを持つ親として、この事件には大いに興味があるし、胸を痛めた。
加害者には相応の制裁を。
それは人として尤もな感情である。
けれど、その事件に関しては、私はあくまでも無関係のその他大勢の一人であり、加害少年を裁く立場にはない。
純粋に関係者と呼べる人数は、そう多くはないはずである。
にも関わらず、事件があった学校や関係者の勤め先には連日非難の電話が押し寄せているという。
ネットの論調も激しい。加害者の氏名や住所を公開し、「集団リンチに遭っても仕方がない」「制裁を!」と声高に叫ぶ。

「告白」の中にもそれと同じ構造がある。
クラスメートによる、加害少年へのいじめ。
最初の一人として声を上げる勇気など微塵もないくせに、だれかが口火を切れば「我も我も」と後に続く。
「こいつは罪人なんだから当然の報いだ」
というのが彼らの主張だ。

たとえ"いじめられる方に原因があろうと"いじめはいけないことだ

とエラそうに主張する自分たちが、同じことをしているという矛盾には全く気付かない。
制裁を与える権利があるのは当事者だけである。無関係の者が手を下せば、それはただの"いじめ"と何ら変わりない。新たな加害者と被害者が生まれるだけだ。私はそう思う。
圧倒的に「正義」の立場に立つと、だれもがそれを振りかざしたくなる。そして弱小意見を排斥し始める。恐ろしい集団心理だと私は常々思っている。

だれもが自分を正義の側におきたがる。
世界の内紛を外側から見ている時にはだれでも「どっちもどっち」なんてお気軽に論評するくせに、問題が、ことご近所や職場になると途端に「私は悪くない。あの人が悪い」と責任転嫁に忙しくなる。
正義も自分を出発点におくと、あっという間に胡散臭いものに転ずるのだ。

ひとつの事件が、立場を変えると様々な様相を呈する。
この物語でも、様々な関係者が一様に自己の正当性を主張する。
「自分はこんな生い立ちだから」「あの人がこうだったから」こうなったのだ、と。
実に胸糞悪い。
私は、何かが起こったとき、それをどう捉えるかは自分次第だと思っている。相手は関係ない。
その意味で、元担任の行為はある意味あっぱれではある。
だが、直接刺し違えるほうが、余程良い仇討ちであったろうと思う。

強い余韻は残るが、後味は良くなかった。

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ソロモンの犬

ソロモンの犬 (文春文庫)ソロモンの犬 (文春文庫)
(2010/03)
道尾 秀介

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表紙のわんこにそそられます。

でも、子どもが死ぬ話はイヤだなぁ。
このお話の中では必然だったかもしれないけれど、死ななくても良かったんじゃないのかなぁ。もっと他の方法はなかったのかなぁ。
甘いのかもしれないけれど、悪いことをしていない者が救われないというのは、私は好きじゃないです。
それが動物や子どもだと、更に切ないです。
その部分が邪魔して、これを青春群像劇と呼ぶにはちょっと…と私は感じました。
面白かったんだけど、手放しで「あー面白かった」とは言えない。
そんな感じ。なんだかモヤモヤするのです。

けれど、主人公には好感が持てるし、他の登場人物もなかなか個性的で、作品自体は良い感じでした。
特に間宮教授が味わい深いです。

少年の死は本当に事故だったのか。
すべてを知っている犬のオーピーの話が聞けたら。
そこから、動物と会話が出来るようになるという「ソロモンの指輪」の逸話が出てくるわけですが、実はみんな元々「ソロモンの指輪」を持って生まれてきているのよね。
五感と更に第六感も寄せ集めて脳を働かせれば、犬の気持ちや行動の理由はきっと理解できる。
そしてそれは動物に対してだけではなく、人にも当てはめることができる。
要は観察力だと思います。
漫然と"見て"いるだけでは何もわからない。
うーん、何だかナショナルジオグラフィックチャンネルの「カリスマドッグトレーナー」シーザー・ミランを思い出しました。
彼も、常に犬の行動をよぉぉく観察します。耳の向き、尻尾の位置、目の動き、鼻の動き。何一つ見逃さない。
そして「この犬は今こう思っている」と判断し、犬に合った方法を採る。
いつも凄いなぁと思うんだけど、それって別に魔法でも何でもなく、観察の結果なのよね。

私は、いつもぼへーっと生きているので、なかなか観察力が研ぎ澄まされない。
シーザーや間宮教授を見習わねば。ねば。

閑話休題。

さすが道尾作品らしく、仕掛けは幾重にも施されています。
「えっ!?」とビックリした後、またまたどぱーんと「ええーっ!?」の波が来ます。
一粒で二度美味しい。

だけどなぁ。
やっぱり一番弱い者が一番悲しい目に遭うお話というのは、ちょっとなぁ、という思いが最後まで付き纏い、付き纏い…なんだか胸の痛みがいつまでも消えないお話でした。

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ゴールデン・フリース

ゴールデン・フリース (ハヤカワ文庫SF)ゴールデン・フリース (ハヤカワ文庫SF)
(1992/11)
ロバート・J. ソウヤー

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ソウヤーは面白いなぁ。
本当にどれもこれもハズレがないからすごい。
書く際に選ぶテーマには、おそらく作者自身の趣味嗜好が反映されているのだろうけれど、決して独り善がりにならず、常に読者を第一に見据え、読者を楽しませることに徹している。
好きが高じていつのまにか作者の一人語りに発展し、読んでいて辟易させられる小説が多い中、なかなかどうして、出来ることではありませんよ。

さて本題。

人間の命を守ることが第一命題のはずのコンピューターが殺人を犯す…
さてその動機は?
というのが本作のテーマ。

入念に選出された1万の人間と共に、47光年の彼方に発見された惑星コルキスをめざす宇宙船「アルゴ」を統括する、第10世代コンピューター「イアソン」。
その行程の半ば、人々の間にそろそろ地球への帰還を望む声やホームシックが蔓延し始めた頃、有り得べからざる悲劇が「アルゴ」を襲う。乗組員の一人「ダイアン」が無残な姿で発見されたのだ。
彼女の死は自殺か他殺か。閉ざされた宇宙船の中で、人々は騒然となる。
「イアソン」は彼女は自殺したのだと主張する。万全の監視体制を取っているはずのイアソンが何故それを止められなかったのかの理由も、一見納得のいくものだった。
だがしかし、ダイアンの元夫アーロンだけは、その死因に違和感を拭えず、独自の調査を始める。

倒叙形式なので、概ね第10世代コンピューター「イアソン」の視点で物語は進みます。
最初にイアソンによる殺人の一部始終が語られます。刑事コロンボですね。
しかしイアソンは、その動機については決して語りません。
彼が抱える秘密とは一体何なのか。ダイアンは何故殺されなければいけなかったのか。

作者が「2001年宇宙の旅」を意識していたのは確かでしょう。
けれど、思うにソウヤーは、HALの殺人動機に納得がいかなかったのではないかな。
真相が明かされた時、驚きと同時に「ああなるほど」と非常にストンと腑に落ちたのです。
人工知能は、いくら進歩しようとあくまで「人工」なのです。ヒトとは明らかに違うのです。
感情を持っているようで、それはやはりヒトとは全く異なった構造をしている。
"守る"という意味を、"人を傷つけない"ということの意味を、彼らは論理的にしか理解できないのです。
あれほどまでに"感情的な"イアソンでさえ…。

そう、イアソンはとても感情豊かなのです。真相に近付きつつあるアーロンのことを「いまいましい」と吐き捨て、不安に思うあまり、アーロンの脳を丸々コピーして(!)彼の思考を後追いしようとまでします。
しかも睡眠中を狙って洗脳まで試みるとか。お茶目過ぎです。
サイコーだったのは、真空シャフト内エレベーターにわざわざ音を付けているというくだり。

はじめは冗談だった。こんなものが音をたてるはずがないことに、だれかが気づくと思ったのだ。これまでに七千三百万回エレベーターを動かしたが、まだだれも気づいていなかった。


音がするはずないんですよね。真空なんだから。なのに誰も気付かない。こんなお茶目なことをやりつつもコンピューターなので、しっかり回数はカウントしている。笑えます。

最終的に最先端コンピューターイアソンの犯罪を暴いたのは、殺されたダイアンの持ち込んだ骨董品だったというのは大いなる皮肉。
しかし、この物語、そんな小さなスケールでは終わらないのです。
最後の最後に大ドンデン返し。
ええーっ!?
となること間違いなし。

やるなぁ、ソウヤー。そうかそうきたか。

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Author:道楽猫
日々子育てに仕事に大忙し。
でも家事は忘れても(・_・)読書は忘れない。
そんな道楽猫が、日々の暮らしの隙間をぬって読んできた本の感想を留めたくて開設したブログです。

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